武器_近接_二刀 のバックアップ(No.6)
木刀二刀
木刀二刀(ぼくとうにとう)は、剣術の稽古に用いられる、二振り一対の木製の刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。
美濃伝打刀二刀
美濃伝打刀二刀(みのでんうちがたなにとう)は、美濃国の刀工が鍛えた、大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。
美濃伝太刀二刀
美濃伝太刀二刀(みのでんたちにとう)は、美濃国の刀工が鍛えた、大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、馬上から振り下ろすなど斬る攻撃に向いている。
相州伝打刀二刀
相州伝打刀二刀(そうしゅうでんうちがたなにとう)は、相模国の刀工が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
相州伝太刀二刀
相州伝太刀二刀(そうしゅうでんたちにとう)は、相模国の刀工が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
野晒し・白枝
野晒し・白枝(のざらし・しろえだ)は大小一対の妖刀。剣理を求めて回国修行に出た男が、開眼できぬまま病を得て客死した。風雨に晒され続けて朽ちた刀と屍は、いつしか溶け合うがごとく一体となり妖刀と化したと伝えられる。妖刀に宿った念は、いまでも剣理を求め続けているという。
関物打刀二刀
関物打刀二刀(せきものうちがたなにとう)は、美濃国関の刀工が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
関物太刀二刀
関物太刀二刀(せきものたちにとう)は、名刀工の多い美濃国の関で鍛えられた、大小一対の太刀。一般の美濃物より強度、切れ味に優れる。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、馬上から振り下ろすなど斬る攻撃に向いている。
山姥の包丁
山姥の包丁(やまんばのほうちょう)は人を食らう老女の妖怪、山姥が携えていた一対の包丁。犠牲者のものと思われる血と錆で汚れており、見るからに恐ろしい。一見切れ味は悪そうだが、人間離れしたカで二丁を擦り合わせることで研ぎ上げられており、刃先は十分に鋭利である。
関兼則二刀
関兼則二刀(せきかねのりにとう)は、美濃国関の刀工、兼則が鍛えた大小一対の打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。
関兼吉二刀
関兼吉二刀(せきかねよしにとう)は、美濃国関の刀工、兼吉が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
宗三左文字・松倉江
宗三左文字・松倉江(そうざさもんじ・まつくらごう)は、今川義元が愛用した一対の名刀。大刀の宗三左文字は筑前国の刀工・左衛門三郎安吉(やすよし)が鍛造した太刀。銘として「左」の一字が刻まれていたが、磨上げ時に失われた。もと三好宗三(政長)の所有であったためこの名がある。小刀の松倉江は、伝説的刀匠・正宗の高弟とされる「正宗十哲」の一人、郷義弘(ごうのよしひろ)の作。越中松倉に住んでいたことから「松倉住」の銘があり、また「郷」を「江」とも称したことから、この名がある。
来国次二刀
来国次二刀(らいくにつぐにとう)は、山城国来派の刀工、国次が鍛えた大小一対の太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。
血染めの二丁鉈
血染めの二丁鉈(ちぞめのにちょうなた)は、なまはげが好んで使う大型の鉈。二丁で一対。作業用の一般的な鉈と異なり、切断よりも相手に打撃を与えることを重視している。牙のような鋭利な突起が複数つけられ、犠牲になった者の血が乾いてこびりついたままになっている。
和泉守兼定二刀
和泉守兼定二刀(いずみのかみかねさだにとう)は、美濃国の関の刀匠、和泉守兼定による銘入りの打刀。大小一対。室町時代を発祥とする歴代の兼定のうち二代目、通称「之定(のさだ)」の作が高く評価され、武田信虎ら多くの武将の愛刀となっている。
長谷部国重二刀
長谷部国重二刀(はせべくにしげにとう)は、山城国の刀工、長谷部国重の手による大小一対の名刀。国重は正宗(まさむね)十哲のひとりとして相州鍛冶の流れをくんでおり、織田信長から黒田官兵衛へ渡った名物、「圧切(へしきり)」の作者として特に著名である。
相州貞宗二刀
相州貞宗二刀(そうしゅうさだむねにとう)は、相模国の刀工、真宗による大小一対の名刀。貞宗は、名匠・正宗(まさむね)の子とする説もあり、正宗から直に刀工の技術を学んだが正宗より早くに死去したといわれる。作風は正宗に近似して戦国武将らに好まれ、無銘の作が多いのも同じである。
大般若長光・鉋切
大般若長光・鉋切(だいはんにゃながみつ・かんなぎり)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、長光が鍛えた大小一対の名剣。大刀の大般若長光には六百貫もの破格の値が付き、六百巻あるという「大般若経」になぞらえたのが名の由来。室町幕府十三代将軍、足利義輝から三好長慶(みよしながよし)に下賜され、織田信長、徳川家康を経て奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の所有となる。小刀の鉋切は、近江国(滋賀県)の堅田又五郎(かたたまたごろう)という者が、伊吹山で乱心した大工に襲われ応戦すると、大工は鉋ごと真っ二つになリ姿を消したという伝説から名付けられた。六角(ろっかく)家に召し上げられ、織田信長を経て蒲生氏郷(がもううじさと)の手に渡った。
孫六兼元二刀
孫六兼元二刀(まごろくかねもとにとう)は、美濃国の関の刀匠、兼元(かねもと)による銘入りの太刀。大小一対。戦国期に活躍した著名な二代目孫六(まごろく)兼元は初代和泉守兼定にも師事したとされ、彼の鍛えた刀は豊臣秀吉ら多くの武将に実用された。
不動国行・薬研藤四郎
不動国行・薬研藤四郎(ふどうくにゆき・やげんとうしろう)は足利将軍家に伝来した、大小一対の名刀。足利義輝を謀殺した松永久秀が奪い愛刀とした。大刀の不動国行は来派(らいは)を代表する刀工・国行の作で不動明王の浮き彫りが施され、この名で呼ばれる。小刀の薬研藤四郎は粟田口(あわたぐち)派・藤四郎吉光(よしみつ)の作。かつてある大名がこの小刀で自害を試みたが腹に刺さらず、諦めて放り投げると硬い薬研を貫いて刺さったという伝説が残る。久秀の守護霊の糸繰(いとくり)を模した蜘蛛の飾りや鍔(つば)が付属する。
相州正宗二刀
相州正宗二刀(そうしゅうまさむねにとう)は、相模国の刀工、正宗による大小一対の名刀。正宗は、通称「五郎正宗」とも呼ばれ、相州正宗の名を日本の名刀の代名詞となるほどまでに高めた屈指の名匠である。鋭い切れ味や品位ある美観は戦国武将らの憧憬の的であったが、無銘の作が多いため贋作も少なからず出回った。
籠釣瓶村正・猪切
籠釣瓶村正・猪切(かごつるべむらまさ・いのししぎり)は、伊勢国の刀工である村正派によって鍛えられた大小一対の名刀。大刀の籠釣瓶とは、特に切れ味に優れる業物に打った截断銘の一種で、籠で作った釣瓶では水が漏れてしまうことから、水滴さえも留めぬ切れ味を意味する。小刀の猪切は、徳川家の酒井忠次が狩りで使用し、猪を切ったためこの名が付いた。猪切の作者は村正派のうち三河国に渡った藤原正真であり、他にも本多忠勝の愛槍・蜻蛉切(とんぼきり)を製作している。
郷義弘二刀
郷義弘二刀(ごうのよしひろにとう)は、越中国(現在の富山県)の名工、郷義弘が鍛えた大小一対の刀。郷義弘は伝説的刀匠・相州五郎正宗の高弟とされる「正宗十哲」の一人。彼の刀は非常に高く評価されており、師である正宗と、短刀の名手・藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の二人とあわせて天下三作と称えられた。
二つ銘則宗・骨喰藤四郎
二つ銘則宗・骨喰藤四郎(ふたつめいのりむね・ほねばみとうしろう)はともに足利尊氏の佩刀であったとされる大小一対の宝刀。足利将軍家に伝来し、足利義輝が所有する。大刀の二つ銘則宗は備前国一文字派・則宗による太刀だが、二つ銘の通称の由来は不明である。「小竹切り」とも。華々しい装飾が施され、外装は「笹丸拵え」「篠作り」の別号でも呼ばれる。小刀の骨喰藤四郎は山城国粟田口(あわたぐち)派の藤四郎吉光(よしみつ)による鍛造。薙刀の刃を切り詰めて小刀にしたもので、斬る真似をするだけで骨を砕くほどの傷を与えるため、この名が付いた。
獅子王・骨食
獅子王・骨食(ししおう・ほねくい)は、ともに「平家物語」などで語られる源氏伝来の大小一対の名刀。宮中の警備を任された源頼政は黒雲から湧いて現れた怪鳥・鵺(ぬえ)を討ち、褒美として朝廷よりこの大刀・獅子王を下賜されたとされる。獅子王の号の由来は不明で無銘ながらも大和国の刀工による鍛造と思われる。また、源頼政が鵺を討つ際、配下に命じてとどめを刺すのに使ったのが小刀の骨食だとされている。











































































