茶室_茶器_家宝 のバックアップ(No.5)


青磁松本(織田)

青磁松本(せいじまつもと)は、青磁茶碗の名品。茶人・松本珠報が所持したため、この名がついた。織田信長が堺の豪商、山岡宗無から5千貫文で買い上げたとされ、これは当時の米価から算定すると約2億5千万円に相当する。

初花肩衝(徳川)

初花肩衝(はつはなかたつき)は、天下三肩衝と呼ばれた茶入の名品中の名品。初花と命名したのは室町幕府8代将軍・足利義政とされる。形状及び釉色が優美かつ婉麗であり、春先に他の花に先駆けて一番に咲く花を思わせることから名付けたという。

楢柴肩衝(豊臣)

楢柴肩衝(ならしばかたつき)は、天下三肩衝と呼ばれた茶入の名品中の名品。濃い飴色の釉が特徴で、これを「恋」にかけて「新古今和歌集」の歌「御狩する狩場の小野の楢柴の汝はまさらで恋ぞまされる」にちなんで命名されたという。

鍋屋肩衝(真田)

鍋屋肩衝(なべやかたつき)は、唐物肩衝茶入の名物の一つ。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は、堺の鍋屋道加が所持したことに由来する。

土田丸壷(石田)

土田丸壷(つちだまるつぼ)は、唐物丸壷茶入の名品で、大名物。丸壷とは、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状の茶入をいう。名は所持者に由来すると思われるが明らかでない。

天目茶碗(大谷)

天目茶碗(てんもくぢゃわん)は、茶碗の一種。すっぽん口と呼ばれる二段になった口造りに特徴があり、保温に優れていることから茶会で好んで用いられた。破却された敦賀城の遺構からも天目茶碗が発見されている。

星肩衝(加藤)

星肩衝(ほしかたつき)は、漢作唐物茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。銘は、釉に散らばる細かい白点を星に見立てて足利義政が名付けたという。

高取茶入(浅井)

高取茶入(たかとりちゃいれ)は、茶人・小堀遠州が指導した遠州七窯の一つ、高取で焼かれた茶入。小堀家は浅井家の遠縁で、その滅亡まで仕えた家臣・小堀正次の長男が小堀遠州である。

追覆手茶入(今川)

追覆手茶入(おっかぷりでちゃいれ)は、瀬戸茶入の一様式。底の内にまで釉が掛かっているものを追覆手という。尾張国の陶工が今川義元の依頼で追覆手の茶入を焼いたと記録にあり、茶器といえば唐物が当たり前だった当時に義元が自身の美意識に沿った茶器を求めていた先進性がうかがえる。

竹中小肩衝(竹中)

竹中小肩衝(たけなかこかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいい、中でも小ぶりなものは小肩衝と呼ばれる。竹中半兵衛が豊臣秀吉から拝領したことが名の由来。

富士茄子(前田)

富士茄子(ふじなす)は、天下三茄子と呼ばれた唐物茄子茶入の名品中の名品。大名物。名は、形状が富士山に似ているからとも、初夢で見て縁起がよいものの順とされる一富士二鷹三茄子からの連想で名付けられたともいう。

平野肩衝(島津)

平野肩衝(ひらのかたつき)は、漢作唐物茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は、河内国平野郷の町人・平野道是が所持していたことに由来する。

時鳥丸壷(毛利)

時鳥丸壷(ほととぎすまるつぼ)は、唐物丸壷茶入の名品の一つ。丸壷とは、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状の茶入をいう。銘は後水尾院の俳句「惜むらむ人におもへばほととぎす」にちなんだもの。

龍光院天目(黒田)

龍光院天目(りゅうこういんてんもく)は、京都の禅刹・龍光院に収蔵されている天目茶碗の名品。龍光院は黒田長政が父である黒田如水の菩提を弔うために建立された寺で、茶人・津田宗及の子である江月宗玩和尚が開祖。

唐物茶碗(立花)

唐物茶碗(からものちゃわん)は、大陸から請来された陶磁器の茶碗。喫茶の習慣が日本に伝わって以来、室町時代後期までは青磁、白磁、天目などの唐物茶碗だけが茶の湯の席で用いられていた。茶の湯の席自体がそれらの名品を自慢する場であったともいう。

大肩衝茶入(吉川)

大肩衝茶入(おおかたつきちゃいれ)は、唐物肩衝茶入の名品の一つ。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいい、大肩衝はそのなかでも大きめのものを指す。天正16年(1588年)に吉川広家が豊臣秀吉から拝領した品で、千利休がこの品について送った手紙も残されている。

宮王肩衝(井伊)

宮王肩衝(みやおうかたつき)は漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。堺出身の能役者・宮王大夫が所持したことからこの名がある。

新田肩衝(大友)

新田肩衝(にったかたつき)は、天下三肩衝と呼ばれた茶入の名品中の名品。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。銘の由来は不詳だが、南北朝時代に足利尊氏と武士の勢力を二分した源氏の英雄、新田義貞が所持したことに由来するともいわれる。

関寺(本多)

関寺(せきでら)は、備前焼の丸壷茶入の名品の一つ。丸壷とは、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状の茶入をいう。侘びて老いさらばえたような姿を謡曲「関寺小町」にちなんで名付けられた。

九十九髮茄子(松永)

九十九髮茄子(つくもがみなす)は、天下三茄子と呼ばれた唐物茄子茶入の名品で、その筆頭。大名物。名は、村田珠光が「伊勢物語」の歌「百年(ももとせ)に一とせ足らぬ九十九髪 我を恋ふらし俤(おもかげ)にみゆ」にちなんで名付けたという。

一文字茶碗(雑賀)

一文字茶碗(いちもんじちゃわん)は、高麗茶碗の一種、呉器茶碗の名品。織田信長より本願寺顕如に和睦の際に贈られ、顕如はこののち紀州の鷺森別院(別名、雑賀御坊)へと移った。名の由来は、窯内で焼成時に隣の器が倒れて横一文字の筋状に土が貼り付いたことによるという。

利休物相(伊達)

利休物相(りきゅうもっそう)は、漢作唐物茄子茶入の名品の一つで、大名物。茄子とは、丸形で口が細く茄子(なす)に似た形状の茶入をいう。飯を盛る物相という器に似ているところからこの名がつけられたとされる。

上杉瓢箪(上杉)

上杉瓢箪(うえすぎひょうたん)は、天下六瓢箪と呼ばれた唐物瓢箪茶入の名品で、その筆頭。大名物。瓢箪とは文字通り瓢箪型をした茶入で、唐物にはこの形状のものは少なく、珍重された。名は上杉家が所持したことに由来し、その前は大友瓢箪と呼ばれていたという。

柴田井戸(柴田)

柴田井戸(しばたいど)は、青井戸手に属する高麗井戸茶碗の名品。青井戸は釉薬がわずかに青みを帯びているというが、特徴はむしろ底から口へとまっすぐに広がる形状にある。元々は織田信長が所有し、戦功によって柴田勝家に下賜された。

九鬼文琳(九鬼)

九鬼文琳(くきぶんりん)は、唐物文琳茶入の名品の一つで、大名物。文琳とは、リンゴに似た形状の茶入をいう。名は九鬼嘉隆が所持していたことに由来する。

勢高肩衝(古田)

勢高肩衝(せいたかかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。通常の肩衝よりも背が高いところからこの名がある。

井戸茶碗(北条)

井戸茶碗(いどちゃわん)は、高麗茶碗の一種。朝顔型の形状で、竹の節状の高台、カイラギと呼ばれる鮫肌状の釉が特色。日本の茶人に好まれた茶碗で、北条家に身を寄せた茶人、山上宗二も井戸茶碗を称賛したという。

三好粉吹(三好)

三好粉吹(みよしこふき)は、高麗茶碗の一種、粉吹茶碗の名品で、大名物。鉄分を含む灰黒色の素地に白土を薄く掛けて焼いた茶碗で、白い粉を吹いたように見えることから粉吹と呼ばれる。名は三好長慶が所持していたことに由来する。

天目茶碗(武田)

天目茶碗(てんもくちゃわん)は、茶碗の一種。すっぽんロと呼ばれる二段になった口造りに特徴があり、保温に優れていることから茶会で好んで用いられた。名は禅宗の名刹、浙江省の天目山にちなんだものだが、武田領にも同じ由来で天目山と名付けられた山があり、後に武田家終焉の地となった。

国司茄子(北畠)

国司茄子(こくしなす)は、漢作唐物茄子茶入の名品の一つで、大名物。茄子とは、丸形で口が細く茄子(なす)に似た形状の茶入をいう。伊勢国の国司北畠氏が所持していたところから、この名がある。

村上肩衝(村上)

村上肩衝(むらかみかたつき)は、瀬戸金華山窯の肩衝茶入の名品の一つで、名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。なかでもこの品は金華山窯の瀧浪手(たきなみで)という分類に入る。

油屋肩衝(福島)

油屋肩衝(あぶらやかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は、堺の町人油屋常言が所持していたことによる。のちに秀吉に献上され、福島正則に下賜された。

遲桜肩衝(藤堂)

遅桜肩衝(おそざくらかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。初花肩衝より珍しい品だがそれより遅れて世に出たため、足利義政が「金葉集」の「夏山の青葉まじりの遅桜初花よりも珍しきかな」の歌にちなんで名付けたという。

青木肩衝(明智)

青木肩衝(あおきかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は所持者に由来するが、後に明智光秀に伝来している。

珠光茶碗(丹羽)

珠光茶碗(じゅこうちゃわん)は、侘び茶の祖、村田珠光が愛用したとされる、くすんだ色合いの唐物青磁茶碗。大陸では碧玉に近い色合いの青磁が珍重されたが、草庵で行う侘び茶の席では華美に過ぎるため、珠光はくすんだ色の茶碗を好んだ。

青磁馬蝗絆(足利)

青磁馬蝗絆(せいじばこうはん)は、日本に伝わった青磁茶碗を代表する名品中の名品。足利義政がこの茶碗を所持していたおり、ひび割れが生じたため、代わるものを明国に求めたところ「これに代わる品は無い」として鉄のかすがいで修復して送り返されたという。このかすがいを大きな蝗に見立てて、馬蝗絆と名づけられた。

宗無肩衝(佐竹)

宗無肩衝(そうむかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。堺の豪商、山岡宗無が所持していたことが名の由来で、山岡宗無の屋号が住吉屋であったことから住吉肩衝とも呼ばれる。

初花肩衝(宇喜多)

初花肩衝(はつはなかたつき)は、天下三肩衝と呼ばれた茶入の名品中の名品。初花と命名したのは室町幕府8代将軍・足利義政とされる。形状及び釉色が優美かつ婉麗であり、春先に他の花に先駆けて一番に咲く花を思わせることから名付けたという。

朝倉文琳(朝倉)

朝倉文琳(あさくらぶんりん)は、漢作唐物文琳茶入の名品の一つで、大名物。文琳とは、リンゴに似た形状の茶入をいう。名は朝倉義景が所持したことに由来するが、釉の景色から三日月文琳とも呼ばれる。

志野丸壷(滝川)

志野丸壷(しのまるつぼ)は、漢作唐物丸壷茶入の名品の一つで、大名物。丸壷とは、胴がやや平目で少し肩が衝き、若干咽喉が長い形状の茶入をいう。名は茶道流派志野流の祖、志野宗信が所持していたことに由来する。

蒲生肩衝(蒲生)

蒲生肩衝(がもうかたつき)は、唐物肩衝茶入の名品の一つ。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は利休七哲の一人、蒲生氏郷が所持したことに由来する。

唐物青磁茶碗(尚)

唐物青磁茶碗(からものせいじちゃわん)は、青磁釉を施した磁器製の茶碗のうち、中国で作られて日本に伝来したもの。碧玉に似た色合いの青磁器は唐代以降多くの文人に愛され、喫茶の習慣が日本に伝わって以来、日本でも珍重された。琉球国は中継貿易で栄えた国であり、青磁器も数多く商われた。

美濃(斎藤)

美濃(みの)は、高麗茶碗の一種である井戸茶碗の名品の一つ。朝顔型の形状で、竹の節状の高台、カイラギと呼ばれる鮫肌状の釉が特色。元々は日常雑器だったと考えられているが、その素朴さが日本の茶人に好まれた。銘の由来は、美濃守の某かが所持したことによると思われるが明らかでない。

道阿弥肩衝(南部)

道阿弥肩衝(どうあみかたつき)は、漢作唐物肩衝茶入の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。名は、足利義昭に仕え、のちに出家して道阿弥と号した山岡景友が所持したことに由来する。

細川井戸(細川)

細川井戸(ほそかわいど)は、天下三井戸と呼ばれた井戸茶碗の名品中の名品。完成度は三つのうちで最も高いと評価されており、井戸茶碗の代表とされる。名は、細川忠興が所持していたことに由来する。

薬師院肩衝(池田)

薬師院肩衝(やくしいんかたつき)は、漢作唐物肩衝の名品の一つで、大名物。肩衝とは、肩の部分が角ばった形状の茶入をいう。武野紹鴎と親交のあった堺の医師、薬師院竹田法眼定信が所持したことからこの名がある。

荒木高麗(荒木)

荒木高麗(あらきごうらい)は、高麗茶碗の名品の一つで、大名物。淡い色使いで唐草模様が染め付けられているのが特徴。一説では、信長に謀反を起こしたのち敗色濃厚となった荒木村重は、この荒木高麗をはじめとする名物だけを携え、単身で城から脱出したという。

瀬戸肩衝茶入(長宗我部)

瀬戸肩衝茶入(せとかたつきちゃいれ)は、日本における最大の窯業地、瀬戸で作られた陶磁器製の茶入で、肩の部分が角ばった形状のもの。当初は唐物を模倣して作られていたが、やがて様々な茶人の指導により日本独自の品が制作されるようになった。

赤楽茶碗(蜂須賀)

赤楽茶碗(あからくちゃわん)は、ろくろを使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形して焼き上げた赤い茶碗。手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。赤土を使い、透明の釉をかけて焼成した本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作品が有名で、秀吉は黒楽茶碗より赤楽茶碗を好んだという。

尼子天目(尼子)

尼子天目(あまこてんもく)は、尼子氏が所有していたといわれる天目茶碗。尼子氏の滅亡後、秀吉の手に渡り、大坂城での茶会などに用いられたと伝わるが、その後は所在不明となっている。

青磁茶碗(蠣崎)

青磁茶碗(せいじちゃわん)は青磁釉を施した磁器製の茶碗。蠣崎家の先祖の蠣崎季繁が治めていた花沢館の跡地からは、青磁や白磁などが出土しており、アイヌとだけではなく明とも交易を行っていたという説がある。