武器_近接_槍 のバックアップ(No.5)


木槍

木槍

木槍(きやり)は、槍術の稽古に用いる木製の槍。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。

素槍

素槍

素槍(すやり)は、簡素な木製の柄が付いた槍。攻撃範囲が広く、離れた敵を突く攻撃に適するが、間合いを詰められると強みを発揮できない。

数槍

数槍

数槍(かずやり)は、雑兵に持たせるために大量生産された槍。槍は訓練を施されていない農民上がりの兵でもある程度の戦闘力を発揮でき、集団戦向きであった。そのため、戦国時代の中期ごろからしだいに足軽の主要武器になっていったという。

片鎌槍

片鎌槍

片鎌槍(かたかまやり)は、穂先の片側だけに鎌状の枝刃をそなえた槍。枝刃があることで敵を馬上から引きずり降ろしたり、武器を絡め取ったりといったさまざまな槍術技法が使えるようになる。そのため、雑兵ではなく本格的に槍術を学んだ武士が主に用いた。

足軽の槍

足軽の槍

足軽の槍(あしがるのやり)は、足軽が用いた素槍(すやり)。
軽量で突き刺すのも薙ぎ払うのにも十分な威力を発揮する。
実用性を重視して大量に作られたもので簡素な造りとなっている。

万骨

万骨

万骨(ばんこつ)は、戦場に倒れた死者の怨念がこもった槍。累々たる戦死者を生んだことから、この名で呼ばれる。人骨を思わせる構造は常人には理解できない複雑さで、一度壊れると二度と槍の形に戻せないという。歴代の所有者がこの槍を振るって勇名を馳せたが、いざ自らが討ち取られる際には傷口から骨が飛び出し、敵兵に突き刺さるという壮絶な死を遂げたと伝わる。多くの血を浴びて槍は禍々しさを増し、さらなる血肉を求めて哭くのだという。

十文字槍

十文字槍

十文字槍(じゅうもんじやり)は、槍の左右に鎌のような刃が付いた槍。十字の形をしていることから十文字槍と呼ばれている。突き、払いの攻撃に優れるが、使いこなすには一定の技量を必要とする。

組頭の槍

組頭の槍

組頭の槍(くみがしらのやり)は、組頭などに与えられた素槍(すやり)。軽量だが刺突に十分な威力を発揮する。刃先が細身のため、敵の体に刺さっても抜きやすく穂先を取られにくい。

小姓の十文字槍

小姓の十文字槍

小姓の十文字槍(こしょうのじゅうもんじやり)は、小姓などに与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。

小松明

小松明

小松明(こたいまつ)は、真田家臣の矢沢頼綱(やざわよりつな)が愛用したという大身槍。頼綱は真田幸村(ゆきむら)の祖父の弟にあたる。頼綱が信濃国(現在の長野県)の沼田城にいた頃、虚空蔵山(こくぞうやま)に住むという鬼神が城下を荒らした。鬼神の討伐へ向かうことが決まり、進軍前に水内(みのち)という地にあった八幡宮に戦勝祈願をしたところ、この不思議な槍を授かったという。闇の中で槍を構えると松明のように明かりを灯し、時折まばゆい閃光を放って敵の目をくらませたとされる。

武者の十文字槍

武者の十文字槍

武者の十文字槍(むしゃのじゅうもんじやり)は、武勇に秀でた猛者に与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。

一文銭通し

一文銭通し

一文銭通し(いちもんせんとおし)は、斎藤道三が愛用した槍。穂先が針のように鋭く尖った形状になっている。若き日の道三は武芸の修行として、宙に放った一文銭の穴をこの槍で貫く修練を行い、ついには百発百中に至ったという。

古籠火の槍

古籠火の槍

古籠火の槍(ころうかのやり)は古びた石灯籠(いしどうろう)が変じた妖怪、古籠火が携えていた槍。本来的には槍として作られたものではなく、長大な煙管(きせる)に槍の穂先を取り付けたものである。古籠火の手にある間は火の灯った灯籠がぶら下がっているが、退治されたあとに残された槍には灯籠が無い。このことから、あの灯籠こそが古籠火の本体であると主張する者もいる。

旗本の十文字槍

旗本の十文字槍

旗本の十文字槍(はたもとのじゅうもんじやり)は、旗本の武将などに与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。

足軽大将の槍

足軽大将の槍

足軽大将の槍(あしがるだいしょうのやり)は、足軽大将などに与えられた素槍(すやり)。軽量だが刺突に十分な威力を発揮する。乱戦などでの打ち合いで簡単に折れないよう、太めの刃先で頑丈に造られている。

大身槍

大身槍

大身槍(おおみやり)は、穂先に長大な刃を備えた槍。刃は平たい三角錐を成し、大きな重量を支えるため柄は太めに作られたものが多い。

牛角十文字槍

牛角十文字槍

牛角十文字槍(ぎゅうかくじゅうもんじやり)は、左右に付いた刃が牛の角の形をした槍。十文字槍の一種。「濃州関住兼先作」の銘があり、美濃国の刀工、兼先によって作られたものだと思われる。

笹穂槍

笹穂槍

笹穂槍(ささほやり)は、笹の葉のように刃の先端が鋭く中央部が膨らんだ形状の槍。突きだけでなく払いによる攻撃にも適している。

蜻蛉切

蜻蛉切

蜻蛉切(とんぼきり)は本多忠勝が愛用したことで知られる天下三名槍の一本。後に徳川家が忌避したとされる村正一派、三河文珠派の藤原正真によって作られた。
突き立てた槍の穂先に蜻蛉が飛来し、真っ二つに切れたことから、その名がついたという。前にしか進まない蜻蛉の習性にあやかり多くの武将が好んだ勇ましさの意匠でもあるが、その蜻蛉が触れただけで切れたという逸話からも、数多の将兵を斬った切れ味のすごさが伝わってくる。また、蜻蛉は旧盆には先祖の霊や亡魂として現れるとも伝えられ、霊的な存在にも威力を発揮したのではないかと思われる。

赤鬼の三角槍

赤鬼の三角槍

赤鬼の三角槍(あかおにのさんかくやり)は、堅牢な刀身を持つ大身槍(おおみやり)。平三角の重厚な穂先は打ち合いの多い乱戦でも折れにくい。取り回しの均衡を取るため柄も太く頑丈な作りになっており、全体重量が大きく筋力がないと扱いに苦労する。所有者の井伊直政は、軍装を赤で統一した赤備えを率いたことで有名で「赤鬼」と渾名された。もと今川家に属し、徳川家康への仕官は他の重臣より遅れたが、この槍を振るって多くの戦功を立て、徳川四天王に数えられるまでになった。

岩突き十文字槍

岩突き十文字槍

岩突き十文字槍(いわつきじゅうもんじやり)は、穂先が十文字の形状をした槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。獲物を突くと背後の岩まで貫くほど鋭いとされ、この名がある。

蒔絵飾り直槍

蒔絵飾り直槍

蒔絵飾り直槍(まきえかざりちょくそう)は、豪奢な金の蒔絵が柄に施された直槍。「相州住広次作」の銘があり、室町末期の相模国の刀工、広次によって作られたものとされる。

宝蔵院十文字槍

宝蔵院十文字槍

宝蔵院十文字槍(ほうぞういんじゅうもんじやり)は宝蔵院流の槍術で多用される、穂先が十文字の形状をした槍。多彩な武技を究めるため、大和国興福寺の僧兵である宝蔵院胤栄(いんえい)によって改良が加えられている。胤栄は水面に映る三日月を見て、槍の刃を十文字に配することを思いついたとする説もある。

一国長吉の槍

一国長吉の槍

一国長吉の槍(いっこくながよしのやり)は、山城国の刀工・長吉の手による大身槍(おおみやり)。刀身の溝には煩悩を祓うとされる仏具の三鈷(さんこ)があしらわれ、穂の根元には武運を司る八幡大菩薩の字を彫ってある。三鈷の力でこの世への未練を断ち切られた死者は迷うことなく冥土に旅立つという。黒田長政が愛用し、一国を取るほどの槍働きになぞらえて命名した。柄の要所には瘤状の突起が配置され、握った手で力を込めやすくなっている。

月形十文字槍

月形十文字槍

月形十文字槍(つきがたじゅうもんじやり)は、横刃が三日月型に配置された十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いや受け流しにも効力を発揮しやすい。宝蔵院(ほうぞういん)流の槍術で用いられたという。

瓶通しの槍

瓶通しの槍

瓶通しの槍(かめとおしのやり)は、山城国三条派の刀工、吉広が鍛えたとされる素槍。徳川四天王のひとり、酒井忠次が愛用し、大きな水瓶に隠れた敵兵を瓶ごと貫いたという逸話からこの名がある。

千鳥十文字槍

千鳥十文字槍

千鳥十文字槍(ちどりじゅうもんじやり)は、左右に付いた刃の下に突起を有し、千鳥が飛ぶ形をした槍。十文字槍の一種。槍を払う時や引く時にも敵に傷を負わせる。

又左の長槍

又左の長槍

又左の長槍(またざのながやり)は、前田利家が愛用した大身槍。前田利家は喧嘩早く派手好みの「傾奇者(かぶきもの)」として知られ、華美な装飾を施した大槍を担いで市中を練り歩き、民に畏怖されたと伝えられる。力のない者が戦場で目立つと真っ先に命を落とすものだが、数々の戦で武功を挙げ、大大名にまで成り上がった利家の実力は本物だったというべきであろう。

人間無骨

人間無骨

人間無骨(にんげんむこつ)は、美濃国・関の和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)が鍛えた十文字槍。穂先の表に人間、裏に無骨と文字が彫られ、「骨無しのように人体を貫く」の意とされる。鬼武蔵の異名で知られる織田家の猛将、森長可(ながよし)は伊勢長島(ながしま)の一向一揆でこの槍を振るい、二十七もの首級を挙げたと伝わる。

鬼半蔵の槍

鬼半蔵の槍

鬼半蔵の槍(おにはんぞうのやり)は、鬼半蔵と呼ばれた服部半蔵正成が愛用した槍。穂先は片方の鎌刃が大きく他方が小さい形状で、片鎌十文字槍と呼ばれる。鎌刃があることで掛け切り、受け、巻き落としなどさまざまな使い方ができ、槍術に秀でた者は好んで十文字槍を用いた。半蔵はこの槍を手に多くの戦で最前線に立ち、文字通りの一番槍を果たしたという。

御手杵

御手杵

御手杵(おてぎね)は、天下三名槍のひとつに数えられる大身槍。極端に大きな穂先を持つ槍で、鞘を付けると巨大な手杵のように見えることからこう呼ばれた。駿河国の名刀匠による作と伝わり、樋(ひ)と呼ばれる穂先の溝が鋭く、鍛造技術の高さがうかがえる。重量があるため扱える者は非常に限られる。下総国の大名・結城晴朝の命によって作られ、養子となった結城(松平)秀康に受け継がれた。松平家には「御手杵の鞘を抜くと雪が降る」という不可思議な言い伝えがあったという。

皆朱の槍

皆朱の槍

皆朱の槍(かいしゅのやり)は、柄の全てを朱うるして塗った槍。著しい武勲を立てた者にその証として与えられるもので、勝手に持つことは許されなかった。皆朱の槍の持ち主としては、天下一のかぶき者と言われた前田慶次(まえだけいじ)や、血鑓九郎(ちゃりくろう)の異名を持つ長坂信政(ながさかのぶまさ)などが知られている。

山姥の槍

山姥の槍

山姥の槍(やまうばのやり)は、宇喜多(うきた)家一門であった、坂崎直盛(さかざきなおもり)の愛用した槍。山奥に棲む老女の妖怪、山姥を返り討ちにして奪い取った伝説から名付けられたという。のちに徳川家の所有となり、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に下賜された。このとき、宗矩は大和高取藩五万石への加増を断り、この槍を所望したと伝えられている。

鬼左近の槍

鬼左近の槍

鬼左近の槍(おにさこんのやり)は、使い慣らした選りすぐりの素槍に大幅な改良を加えた名槍。鬼の異名を持つ島左近が百戦の経験で得た教訓をもとに、なじみの刀工に頼んであつらえた槍である。刃先は入念に研がれ、歴戦を経ても切れ味を失っていない。左近は筒井家などに仕えたのち浪人していたが、才に惚れ込んだ石田三成に度重なる要請を受け、軍師として高禄で召し抱えられたとされる。

日本号

日本号

日本号(ひのもとごう)は、天下三名槍のひとつに数えられる大身槍。無銘であるが名匠の作と推定され、不動明王の化身とされる倶利伽羅竜王の浮彫が穂先の溝にあるなど、名に違わぬ力強さに満ちている。朝廷の宝物であった頃、あまりの出来の素晴らしさから槍でありながら正三位の官位を授けられたという逸話も残る。足利将軍家から織田家、豊臣家を経て福島正則の所有となった。

肥後の虎の槍

肥後の虎の槍

肥後の虎の槍(ひごのとらのやり)は、加藤清正所用と伝わる片鎌十文字槍。清正は賤ヶ岳の戦いで目覚ましい働きを見せた「賤ヶ岳七本槍」の一人で、虎退治の逸話を持つ猛将。数々の武功により肥後一国を与えられ、肥後の虎と呼ばれた。一説では、この槍はもともと両鎌の十文字槍であったが虎退治の際に片方の鎌が噛み折られ、清正は虎の強さを讃えて修復せずにそのまま用いたという。

大千鳥十文字槍

大千鳥十文字槍

大千鳥十文字槍(おおちどりじゅうもんじゃり)は、真田幸村が愛用した槍。穂先が分かれた十文字槍で、具足に引っかけて落馬させたり、相手の攻撃を打ち払ったりするのに適していた。一方、自らの乗馬を傷つける畏れがあり、扱いには熟練を要したとされる。柄は真紅に塗られ、武勇に優れた者のみが扱うことを許された朱槍であった。幸村はこの槍のほかに、名刀「正宗(まさむね)」「貞宗(さだむね)」を所持し、大坂の陣を戦い抜いたといわれている。

比々羅木之八尋矛

比々羅木之八尋矛

比々羅木之八尋矛(ひひらぎのやひろほこ)は、日本神話においてヤマトタケルが父から東征を命じられた際、軍勢の代わりに授けられたと伝わる矛。槍のように大振りで鋭い。西国の平定から戻ったばかりのヤマトタケルは父の人使いの荒さを嘆くが、心配した叔母から草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を渡され、諭されたという。東征を果たしたヤマトタケルは、武蔵国入間(現在の埼玉県中部)の地にある出雲伊波比(いずもいわい)神社に社殿を設け、東北に切っ先を向けてこの矛を安置させたという。

百鬼の槍

百鬼の槍

百鬼の槍(ひゃっきのやり)は、鬼の意匠が施された槍。銘が刻まれていないため誰の作かは不明だが、鬼気迫る出来映えで見る者の目を奪う。鬼を冠する多くの言葉が示すとおり、日本において鬼とは強さの象徴である。この槍は、力や技といった理を超えた鬼の強さにあやかろうとしたものであろう。

白鳥の槍

白鳥の槍

毘沙門戟

毘沙門戟

隼風ノ鉾

隼風ノ鉾