防具_シリーズ_重装 のバックアップ(No.4)
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伝家の大鎧
伝家の大鎧(てんかのおおよろい)は、武門の家に代々伝えられてきた品と思われる甲冑。戦国時代には大量生産に適した甲冑である当世具足が主流となっていたが、先祖代々の鎧を持つ武士は誇りとともにそれを用いた。
兜(かぶと)は、長烏帽子形に日輪の前立があしらわれている。左右に跳ね上がるように付く吹返は、頭部の保護と共に威儀的な意味合いが強い。付属する白髭の面具は「烈勢面頬(れっせいめんぼお)」と呼ばれ、怒りに満ちた表情が見る者を威圧する。
胴(どう)は、紺糸を素懸威した四枚胴。腰に締められた朱色の太い緒が、着用者の力強さを誇示する。
籠手(こて)は、篠と呼ばれる細長い鉄板が隙間なく綴られ、見る者に堅牢な印象を与える。
膝甲(ひざよろい)は、前後六枚の草摺の下に大判の佩楯を垂らす。その重厚な佇まいは、見る者を畏怖させる。
脛当(すねあて)は、黒塗の小札を綴ったもので、当世具足ではあまり見られない様式。見る者が見れば、その価値に気づくことだろう。
野武士の大鎧
野武士の大鎧(のぶしのおおよろい)は、山野に潜伏して近隣から略奪を働いた、武士くずれのならず者が着用した鎧。
兜は、吹返のない簡素な形状の筋兜。手入れされておらず、細かい傷や汚れが付いている。
胴は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。手入れされておらず、細かい傷や汚れが付いている。
籠手は、鉄の板をつなぎ合わせて作られている。多くの戦を経て、細かい傷や返り血の痕跡がある。
膝甲は使い込まれているようで腰を守る草摺(くさずり)の鉄はくすんでおり、太腿を守る佩楯には古い血の跡がかすかに滲んでいる。
脛当は薄汚れており、束ねた鉄の板には泥や古い血の跡がこびりついている。
寄騎衆の鎧
寄騎衆の鎧(よりきしゅうのよろい)は、寄騎の立場にあった武士が着用した具足。寄騎とは「与力」とも書き、大名の直臣ながら特定の有力家臣(寄親)の指揮下に置かれた武将。戦場では一軍の将として騎乗していることが多いため、鎧も騎乗戦闘を想定した作りとなっている。
兜は、実用性を追求した越中頭形(えっちゅうずなり)兜。寄親を憚ってか前立は付けられていない。
胴は、鉄板を鋲留めした鉄錆地塗の桶川胴。余計な装飾を廃した堅牢な作りとなっている。
籠手は、左右の袖が繋がった篠籠手。上腕部は当世袖の下に、さらに篠金物が縫い付けてあり、重量はあるが堅牢な作り。
膝甲は、素懸の草摺(くさずり)の下に佩楯(はいだて)。騎乗時は腰下を徒歩武者に狙われることが多いため、特に重厚な作りとなっている。
脛当は、鉄製の筒脛当。重みはあるが強靭に作られている。
美濃宿老の鎧
美濃宿老の鎧(みのしゅくろうのよろい)は、斎藤家の重臣として遇されていた美濃国の有力土豪が着用したとされる当世具足。なかでも稲葉・安藤・氏家の三家が権勢を誇り、美濃三人衆と呼ばれた。
兜は、黒漆塗の筋兜。左右に巨大な角状の脇立てを設け、見る者を威圧する。後頭部と首を保護する錣(しころ)は、湾曲した五枚の板を黒糸で威した饅頭錣。
胴は、黒漆塗の桶川胴。わずかな装飾として、縁起の良いニ重叶(にじゅうかのう)に結んだ飾り紐を、胸部から二本下げている。
籠手は、篠金物を綴った籠手を、紫色の紐で締めている。肩から上腕の部分は、袖と合わせて二重に保護されている。
膝甲は、黒漆塗この短めの草摺(くさずり)と、板札を紫色の糸で威した佩楯(はいだて)。佩楯は激戦の破損を防ぐため、外枠に特殊な金具を用いて耐久性を強化している。
脛当は、鉄地黒漆塗の筒脛当。赤い縄で締め、足回りをすっきりとまとめることで、機動力を高めている。
御供衆の鎧
御供衆の鎧(おともしゅうのよろい)は、室町時代の将軍の行列に随行する職責である御供衆の一人が使用したと伝わる甲冑。
兜(かぶと)は、黒漆塗の頭形兜(ずなりかぶと)。鉢の作りは頑丈で、実戦であまり意味がないとされる吹返を廃するなど、実用本位な作り。頭立に飾られた山鳥の尾は一見奇抜だが、軽量で邪魔にならない上に、広い戦場でもよく目立つため、合理的な装飾と言える。
胴(どう)は、鉄板を黒革で包んだ二枚胴。袖もつかず構造も簡略化されているが、軽量で動きやすい。また、見た目が地味な分、上に重ねる陣羽織が映えるのも特徴で、上質な陣羽織を着用することで家格の高さを顕示した。
籠手(こて)は、黒塗の鉄板三枚を繋いだ筒籠手。いざとなれば将軍を守る役目を負うため、十分な防御性能を持たせてある。
膝甲(ひざよろい)は、長めの草摺りを胴から下げる。作りは幅広の鉄小札を太めの緒で威した「大荒目(おおあらめ)」。古式の大鎧によく見られるもので、着用者の出自が由緒あする武家であることをさりげなく主張する。
脛当(すねあて)は、黒塗の鉄板四枚を繋いだ筒脛当。いざとなれば将軍を守る役目を負うため、十分な防御性能を持たせてある。
武将の大鎧
武将の大鎧(ぶしょうのおおよろい)は、一軍を率いるひとかどの武将が着用した鎧。
兜は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。獅子頭の前立と、水牛の角の脇立で飾られ、髭が付いた面具で顔を覆っている。
胴は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。一枚の鉄板で出来ており、重く頑丈で装飾性が高い。雪の下胴の名があり、仙台藩で多く使われたため仙台胴とも呼ばれた。
籠手は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。
膝甲は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)が付いている。
膝当は、蘇芳(すおう)で染めた糸を用いた赤糸威である。腰を守る草摺(くさずり)、太腿を守る佩楯(はいだて)が付いている。
海道一の弓取の鎧
海道一の弓取の鎧(かいどういちのゆみとりのよろい)は、今川義元が着用したと伝えられる鎧。義元は駿河国を中心に東海道の大部分を支配下に収め、海道一の弓取と讃えられた。
烏帽子は、貴人が戦陣に出る際に着用する引立烏帽子と呼ばれるもの。足利将軍家に連なる今川家の格式の高さを物語る。
胴は、左胸の鳩尾(きゅうび)の板、右胸の栴檀(せんだん)の板を備えた伝統的な大鎧の形式を取るが、袖は小ぶりな当世袖するなど工夫が施されている。黒絹の陣羽織を重ねた装いは、足利一門の大将に相応しい気品と威厳を漂わせる。
籠手は、源義経に由来する義経籠手に似た様式。細部まで美しい意匠が施されている。
膝甲は、草摺(くさずり)、佩楯(はいだて)。札板の黒、威糸の赤、金物細工の金という配色が絶妙で、豪華に見せながら気品でも漂う。
脛当は、膝部に大立挙(おおたてあげ)のついた伝統的な様式で、今川家の家紋「赤鳥」が金蒔絵で描かれている。沓は貫(つらぬき)と呼ばれる毛沓。
守護大名の鎧
守護大名の鎧(しゅごだいみょうのよろい)は、幕府より守護職に任じられるほどの名家の当主が着用した具足。下剋上の世になり、戦国大名が乱立するようになっても、守護大名の権威は別格だった。
面具は、鉄地漆塗の「隆武頬(りゅうぶほお)」で、勇ましくも気高い表情で敵を圧する。首元を守る垂れも赤漆塗で豪華な作り。
胴は、横矧(よこはぎ)の桶川胴。奇をてらわない堅牢な作り。
籠手は、黒漆塗の筒籠手。名工の手で丁寧に作られた逸品。
膝甲は、長さが異なる草摺(くさずり)を組み合わせて下げる。
脛当は、黒漆塗の筒脛当。足先まで隙なく作りこまれている。
玄龍の大鎧
玄龍の大鎧(げんりゅうのおおよろい)は、斎藤義龍所用と伝えられる大鎧。玄龍とは義龍の死後に授けられた戒名、「雲峯玄龍居
士」に由来する。
兜は、鉄板を繋ぐ鋲を鉢の表に見せる小星兜で、前面に獅噛(しかみ)の前立て、側面に山羊の角のような脇立てが付けられている。顔を覆う面頬と相まって禍々しい雰囲気を醸している。
胴は、黒漆塗の桶川胴。「二頭波(立波)」の家紋が金蒔絵で描かれており、斎藤家の嫡子に相応しい鎧となっている。
籠手は、鉄地黒漆塗の筒籠手。最前線で太刀を振るって戦うことを想定していたのか、手甲まで重厚な作りとなっている。
膝甲は、毛引威の佩楯(はいだて)の上に陣羽織を重ねる。陣羽織の裾にも小札を縫い付けてある。重量はあるが堅牢。
脛当は、鉄地黒漆塗の筒脛当。最前線での組打ちを想定していたのか、足先まで隙の無い重厚な作りとなっている。
漆黒の大鎧
漆黒の大鎧(しっこくのおおよろい)は、織田信長に仕えた黒人の侍、ヤスケが着用した大鎧。ヤスケは、布教のために来日したイタリア人宣教師に伴われて信長に謁見、気に入られて武将として取り立てられた。見上げるほどの大男で「十人力の剛力」を誇る。この鎧は、ヤスケの巨体に合うように信長が特別に作らせたもの。
兜は、厚手の鉄を打ち出した鉢に、重厚な錏(しころ)が下がる。目の下までを覆う面頬(めんぽお)は天狗を模したはずが、弥助が着用すると魔神を思わせる容貌となる。
胴は、発達した筋肉の動きを妨げないよう胸部が大きく開かれ、織田家の家紋が象嵌された南蛮胴が腹部を守る。袖は左右異形で、左肩には鉄製の長大な大袖が下がる。
籠手は、左右異形で、右手が西洋甲冑のガントレットを模した重厚なものであるのに対し、左手は軽装で指を露出させた作りとなっている
膝甲は、下半身を覆う厚手の麻布の上から鉄製の佩楯(はいだて)を左腰に下げ、右腰には霊力を宿す二連の数珠を垂らしている。
脛当は、二枚の鉄板を筒状に合わせて蝶番で留めたもの。膝を守る立挙(たてあげ)には、織田家の家紋が象嵌されている。
探題の大鎧
探題の大鎧(たんだいのおおよろい)は、室町時代の重要な役職である探題の一人が使用したと伝わる大鎧。探題は中央から離れた地における政務の決定権・執行権を与えられた役職で、奥州・羽州・九州に置かれた。
兜(かぶと)は、椎実形の鉢に半月の前立。金箔地に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも品格のある外観を誇る。
胴(どう)は、浅葱糸を威した伝統的な腹巻の様式。小札は金箔の上に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも威厳に満ちた外観を誇る。
籠手(こて)は、黒漆塗の座盤に金箔が押され、美しくも凛とした外観を誇る。
膝甲(ひざよろい)は、草摺の下に大判の佩楯を垂らす。いずれも金箔の上に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られた小札を浅葱糸で威し、探題の権威に相応しい美しくも厳かな外観を誇る。
脛当(すねあて)は、七本の細い鉄板を綴った篠脛当で、金箔地に薄く漆を引く白檀塗(びゃくだんぬり)という技法で丁寧に作られており、探題の権威に相応しい美しくも威風を備えた外観を誇る。
楯無
楯無(たてなし)は源氏一門が所持した伝説の鎧「源氏八領」の一領で、小桜韋威(こざくらがわおどし)の大鎧。盾が無用になるほど防御力が高く、この名が付いたとされる。甲斐武田家に伝わって家宝とされ、着用して出陣すれば決して傷を負わなかったという。
伝統的な形状の星兜は鉄板十枚を重ねて使用する堅牢なもので、金色の前立が猛々しい。左右の吹返しの表面には胴と対になる紋様があしらわれ、頬を守る面頬(めんぽう)も付属する。
胴は、複数の小さな鉄または革板を重ねて一枚の板状にした小札(こざね)の構造で、防御力は高いが重量は軽減される。肩から上腕部分を覆う大袖が付属し、飛来する矢などから身を守れる。
弓の多用を想定した片籠手(かたごて)で、左手に革製の大きな籠手を装着して接近戦に備え、右手には弓懸(ゆがけ)と呼ばれる革手袋を装備して弦を引く指を保護する。
膝甲は草摺とも呼ばれ、胴と同じ小札(こざね)の構造で動きを妨げにくい。徒歩で大鎧を着ると肩に大きな重量がかかるが、馬上だと馬鞍で重量を受け止められるよう設計されている。
脛当は革でできた筒状の長靴の上に薄い鉄板を重ね、紐で固定する。
東国無双の鎧
東国無双の鎧(とうごくむそうのよろい)は、徳川四天王のひとり、本多忠勝が所用した当世具足。忠勝は家康股肱の臣として熾烈な戦場を巡るが傷ひとつ負わず、豊臣秀吉にも東国無双の勇士と称えられた。黒糸で威(おど)した濃色の伊予札(いよざね)を基調に、要所を金飾りで覆って威風を高めてある。
兜は、脇立に雄々しい鹿角を配し、前立には獅噛(しかみ)と呼ばれる獅子の顔を置いた凄みのある意匠。古来、神聖な獣とされている鹿は俊敏さの象徴ともされ、その頑丈な角は決して折れぬ信念を表すという。
胴は、留め具を外して展開すると二枚の板状になる二枚胴。伊予の国の熟練工による小札(こざね)を素材とし、軽量頑丈で耐久性に優れた。袈裟懸けにした大数珠は戦場に散った将兵を弔うためだといわれる。
籠手は、胴と同色の鉄板二枚を湾曲させて手の甲まで覆う構造で、組み紐で固定し乱戦時などのずれを防ぐ。掌と指は露出するため、槍などを扱いやすくなっている。
膝甲は、熊の毛皮が垂れ下がった伊予札で、胴と同様の耐久力がありながら軽快。黒漆と金箔が大胆に用いられ、鮮やかな対比となっている。
脛当は、湾曲した鉄板を脛に押し当て、組み紐などで固定する形式。補強および緩衝のため、麻や革などの素材を組み合わせたもの。鉄板が足の甲に当たって歩行を妨げぬよう、最下部には浅く反りが入る。

































































