茶室_武家_武家解説 のバックアップ(No.3)
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- 9 (2024-02-18 (日) 21:02:24)
- 10 (2024-03-17 (日) 01:17:36)
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織田

織田(おだ)家は、尾張国(現在の愛知県)を平定後、東海、近畿を次々に制圧し、戦国乱世を風靡した武家。織田信長(のぶなが)が家督を相続後、一代で大勢力を築いた。
信長は急進的な政策や苛烈な兵略を用いたため諸侯に恐れられ、勢力の内外に多くの敵を作り、ついには腹心である明智光秀の謀反により討たれた。以降、遺臣は豊臣家などに吸収され、織田家の勢力は急速に衰えた。
家紋「織田木瓜(おだもっこう)」は、織田家の用いた木瓜紋の意で、別名「織田瓜(おだか)」とも。輪切りにした瓜の断面を図案にしたものとされている。複数の卵を抱く鳥の巣のようにも見えるため、子孫繁栄の兆しとして尊ばれた。
徳川

徳川(とくがわ)家は、三河国(現在の愛知県東部)を起点に、東日本に大勢力を築いた武家。当主は徳川家康(いえやす)である。
家康は幼少の頃、今川義元(いまがわよしもと)の人質となったが桶狭間(おけはざま)の合戦後に独立した。のち織田家と同盟して武田家を滅ぼすなど東方に勢力を広げ、豊臣家には臣従したものの、武蔵国(東京都と埼玉県)を中心とする大領地を得た。以降、豊臣家に継ぐ勢力と権威を保持し、秀吉も一目置く存在であり続けた。
戦勝祈願の出陣式を行う際、鮑(あわび)、栗、昆布の三品を葵(あおい)の葉に乗せて供物にすると勝利を得られるという縁起から、家紋に「三つ葉葵(みつばあおい)」が選ばれたと伝わる。
豊臣

豊臣(とよとみ)家は、本能寺の変後の動乱を制し、天下統一を果たした武家。主な当主に豊臣秀吉(ひでよし)、豊臣秀頼(ひでより)父子がいる。
秀吉は、織田信長に仕え、目覚ましい功績で異例の出世を果たし、地方攻略を一任されるほどの重臣に抜擢される。そして信長の急死後、旧織田家臣を吸収して念願の統一を成し遂げた。秀吉が打ち出した検地や刀狩りは大いに政権を安定させたが、年を経るごとに秀吉の猜疑心が強まり、甥の秀次を粛正するなど非情な一面を見せるようになったため、豊臣家の求心力も自ずと弱まっていった。
家紋「五七桐紋(ごしちのきりもん)」は、皇室の御紋の一種で、朝廷より秀吉に下賜された。左右に五つずつ、中央に七つの桐の花が配置されるためこの名がある。
真田

石田

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加藤

浅井

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