武器_近接_槍 のバックアップ(No.3)
木槍
木槍(きやり)は、槍術の稽古に用いる木製の槍。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。
素槍
素槍(すやり)は、簡素な木製の柄が付いた槍。攻撃範囲が広く、離れた敵を突く攻撃に適するが、間合いを詰められると強みを発揮できない。
数槍
数槍(かずやり)は、雑兵に持たせるために大量生産された槍。槍は訓練を施されていない農民上がりの兵でもある程度の戦闘力を発揮でき、集団戦向きであった。そのため、戦国時代の中期ごろからしだいに足軽の主要武器になっていったという。
片鎌槍
片鎌槍(かたかまやり)は、穂先の片側だけに鎌状の枝刃をそなえた槍。枝刃があることで敵を馬上から引きずり降ろしたり、武器を絡め取ったりといったさまざまな槍術技法が使えるようになる。そのため、雑兵ではなく本格的に槍術を学んだ武士が主に用いた。
足軽の槍
足軽の槍(あしがるのやり)は、足軽が用いた素槍(すやり)。
軽量で突き刺すのも薙ぎ払うのにも十分な威力を発揮する。
実用性を重視して大量に作られたもので簡素な造りとなっている。
万骨
万骨(ばんこつ)は、戦場に倒れた死者の怨念がこもった槍。累々たる戦死者を生んだことから、この名で呼ばれる。人骨を思わせる構造は常人には理解できない複雑さで、一度壊れると二度と槍の形に戻せないという。歴代の所有者がこの槍を振るって勇名を馳せたが、いざ自らが討ち取られる際には傷口から骨が飛び出し、敵兵に突き刺さるという壮絶な死を遂げたと伝わる。多くの血を浴びて槍は禍々しさを増し、さらなる血肉を求めて哭くのだという。
十文字槍
十文字槍(じゅうもんじやり)は、槍の左右に鎌のような刃が付いた槍。十字の形をしていることから十文字槍と呼ばれている。突き、払いの攻撃に優れるが、使いこなすには一定の技量を必要とする。
組頭の槍
組頭の槍(くみがしらのやり)は、組頭などに与えられた素槍(すやり)。軽量だが刺突に十分な威力を発揮する。刃先が細身のため、敵の体に刺さっても抜きやすく穂先を取られにくい。
小姓の十文字槍
小姓の十文字槍(こしょうのじゅうもんじやり)は、小姓などに与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。
小松明
小松明(こたいまつ)は、真田家臣の矢沢頼綱(やざわよりつな)が愛用したという大身槍。頼綱は真田幸村(ゆきむら)の祖父の弟にあたる。頼綱が信濃国(現在の長野県)の沼田城にいた頃、虚空蔵山(こくぞうやま)に住むという鬼神が城下を荒らした。鬼神の討伐へ向かうことが決まり、進軍前に水内(みのち)という地にあった八幡宮に戦勝祈願をしたところ、この不思議な槍を授かったという。闇の中で槍を構えると松明のように明かりを灯し、時折まばゆい閃光を放って敵の目をくらませたとされる。
武者の十文字槍
武者の十文字槍(むしゃのじゅうもんじやり)は、武勇に秀でた猛者に与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。
一文銭通し
一文銭通し(いちもんせんとおし)は、斎藤道三が愛用した槍。穂先が針のように鋭く尖った形状になっている。若き日の道三は武芸の修行として、宙に放った一文銭の穴をこの槍で貫く修練を行い、ついには百発百中に至ったという。
古籠火の槍
古籠火の槍(ころうかのやり)は古びた石灯籠(いしどうろう)が変じた妖怪、古籠火が携えていた槍。本来的には槍として作られたものではなく、長大な煙管(きせる)に槍の穂先を取り付けたものである。古籠火の手にある間は火の灯った灯籠がぶら下がっているが、退治されたあとに残された槍には灯籠が無い。このことから、あの灯籠こそが古籠火の本体であると主張する者もいる。
旗本の十文字槍
旗本の十文字槍(はたもとのじゅうもんじやり)は、旗本の武将などに与えられた十文字槍。素槍(すやり)に比べ、薙ぎ払いにも高い威力を発揮する。実用性を重視した簡素な造りとなっている。
足軽大将の槍
足軽大将の槍(あしがるだいしょうのやり)は、足軽大将などに与えられた素槍(すやり)。軽量だが刺突に十分な威力を発揮する。乱戦などでの打ち合いで簡単に折れないよう、太めの刃先で頑丈に造られている。
大身槍
大身槍(おおみやり)は、穂先に長大な刃を備えた槍。刃は平たい三角錐を成し、大きな重量を支えるため柄は太めに作られたものが多い。
牛角十文字槍
牛角十文字槍(ぎゅうかくじゅうもんじやり)は、左右に付いた刃が牛の角の形をした槍。十文字槍の一種。「濃州関住兼先作」の銘があり、美濃国の刀工、兼先によって作られたものだと思われる。
笹穂槍
笹穂槍(ささほやり)は、笹の葉のように刃の先端が鋭く中央部が膨らんだ形状の槍。突きだけでなく払いによる攻撃にも適している。
蜻蛉切
蜻蛉切(とんぼきり)は本多忠勝が愛用したことで知られる天下三名槍の一本。後に徳川家が忌避したとされる村正一派、三河文珠派の藤原正真によって作られた。
突き立てた槍の穂先に蜻蛉が飛来し、真っ二つに切れたことから、その名がついたという。前にしか進まない蜻蛉の習性にあやかり多くの武将が好んだ勇ましさの意匠でもあるが、その蜻蛉が触れただけで切れたという逸話からも、数多の将兵を斬った切れ味のすごさが伝わってくる。また、蜻蛉は旧盆には先祖の霊や亡魂として現れるとも伝えられ、霊的な存在にも威力を発揮したのではないかと思われる。
赤鬼の三角槍
赤鬼の三角槍(あかおにのさんかくやり)は、堅牢な刀身を持つ大身槍(おおみやり)。平三角の重厚な穂先は打ち合いの多い乱戦でも折れにくい。取り回しの均衡を取るため柄も太く頑丈な作りになっており、全体重量が大きく筋力がないと扱いに苦労する。所有者の井伊直政は、軍装を赤で統一した赤備えを率いたことで有名で「赤鬼」と渾名された。もと今川家に属し、徳川家康への仕官は他の重臣より遅れたが、この槍を振るって多くの戦功を立て、徳川四天王に数えられるまでになった。









































