武器_近接_大太刀 のバックアップ(No.3)
- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- 現在との差分 - Visual を表示
- ソース を表示
- 武器_近接_大太刀 へ行く。
- 1 (2023-08-17 (木) 00:07:46)
- 2 (2023-08-17 (木) 02:37:30)
- 3 (2023-08-17 (木) 05:45:04)
大木太刀
大木太刀(おおきだち)は、剣術の稽古に用いる木製の大太刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。
大和伝大太刀
大和伝大太刀(やまとでんおおだち)は、大和国の刀工が鍛えた大太刀。反りが浅いため斬撃だけでなく刺突にも適しており、重量があるため一撃の威力が大きい。
備前伝大太刀
備前伝大太刀(びぜんでんおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)の長船(おさふね)派が鍛えた大太刀。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。
山城伝大太刀
山城伝大太刀(やましろでんおおだち)は、山城国(現在の京都府)の刀工が鍛えた大太刀。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。
一本だたらの大太刀
一本だたらの大太刀(いっぽんだたらのおおだち)は、妖怪の一本だたらが携える無骨な大太刀。元は優れた鍛冶師であった一本だたらが自ら打ち出した逸品で、見た目に似合わず恐ろしい切れ味を発揮する。付着した血を放置するなど乱雑な扱いをしても切れ味が落ちにくいという。名刀への執念と一本だたらの妖力が込められており、あたかも刀自身が血を求めるかのように持ち主を戦場に駆り立てる。
来派大太刀
来派大太刀(らいはおおだち)は、山城国(現在の京都府)の来派が鍛えた大太刀。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。
紅蜘蛛
紅蜘蛛(べにぐも)は、巨大な蜘蛛の妖怪を討ったという大太刀。蜘蛛の妖怪を斬り伏せたためか、刀身は赤黒く染まり、柄には蜘蛛の糸が絡みついている。言い伝えでは、中国地方の山に棲み着いた蜘蛛の妖怪をある男が討伐に向かったが、数日後、男は妖怪と相討ちの形で死んでいるのが発見されたという。死体のそばに残されていた大太刀は、祟りを恐れた人々により神社に祀られたが、何者かに盗まれて失われたと伝わる。
古備前大太刀
古備前大太刀(こびぜんおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の刀工が鍛えた大太刀。備前の刀工のうち、平安時代に活躍した友成(ともなり)、正恒(まさつね)、包平(かねひら)ら名工の手になる刀は古備前物と呼ばれて高く評価され、贈答の品としても珍重された。
祐定大太刀
祐定大太刀(すけさだおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、祐定が鍛えた大太刀。製造を急いだためか一部の工程が簡略化されており、品質にばらつきがある。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。
高平大太刀
高平大太刀(たかひらおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の刀工、高平が鍛えた大太刀。高平は、助平(すけひら)、包平(かねひら)ともに「備前三平(びぜんさんひら)」と呼ばれる名工で、蛇切丸(じゃきりまる)、秩父がかう平(ちちぶがかうひら)など数々の名刀を生み出した。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。
来国行大太刀
来国行大太刀(らいくにゆきおおだち)は、山城国(現在の京都府)来派の祖である名工、国行が鍛えた大太刀。来派の後継には国俊(くにとし)、国次(くにつぐ)などがいる。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。
蛇切丸
蛇切丸(じゃきりまる)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の名工、高平(たかひら)が鍛えた大太刀。平家打倒に協力し、坂東武者(ばんどうむしゃ)の鑑と評された畠山重忠(はたけやましげただ)はこの大太刀を用い、富士川の戦いで加地次家(かじつぐいえ)の兜を切り割ったという。重忠は高平の太刀を好み、七つ燭台(ななつしょくだい)、長竜(ちょうりゅう)などの名刀を所蔵していた。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。
血染めの大包丁
血染めの大包丁(ちぞめのおおぼうちょう)は、なまはげが好んで使う大型の刀。刃の長さは大太刀とほぼ等しい。普通の刃物とは異なり、切断よりも相手に打撃を与えることを重視している。鋭利な突起や返しが複数付けられ、犠牲者の血が洗っても落ちぬほど染みついている。
君万歳友成
君万歳友成(きみばんざいともなり)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の名工、友成が鍛えた大太刀。平教盛(たいらののりもり)の佩刀とされる。教盛は、一ノ谷(いちのたに)の戦いで惨敗した平家を立て直し、壇ノ浦(だんのうら)で起死回生を図ったが敗れこの刀と共に海に沈んだという。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。
太郎太刀
太郎太刀(たろうたち)は、朝倉家に仕えた剛力の将、真柄直隆(まがらなおたか)が愛用したとされる大太刀。次郎太刀の姉妹剣。備中国(現在の岡山県西部)の青江(あおえ)派に属する名工の作で、長さが七尺三寸(約220センチ)を超える業物。直隆は朝倉義景(よしかげ)に従って姉川(滋賀県北東部)の戦いに参陣、この大太刀を振るって織田、徳川連合軍を苦戦させた。崩れ始めた友軍を逃がすために徳川本陣へ向けて単騎で突撃をかけるも、備えを八段まで突破したところで力尽き、首級を奪われたとされる。
次郎太刀
次郎太刀(じろうたち)は、朝倉家の猛将である真柄直隆(まがらなおたか)の子、隆基(たかもと)が愛用したとされる大太刀。姉妹剣の太郎太刀と併せて真柄太刀とも総称される。越前国(現在の福井県)の名刀工、千代鶴国安(ちよづるくにやす)の作で、五尺五寸(約167センチ)の長さを誇る。隆基は直隆同様、豪勇をもって知られ、足利義昭(あしかがよしあき)の御前でも剣技を披露したという。父と共に姉川(滋賀県北東部)の戦いで活躍したが、父の決死の奮戦を見届けようと戦場に引き返した際に討たれた。



























































