武器_遠距離_弓 のバックアップ(No.2)


長弓

長弓

長弓(ながゆみ)は真竹で作られた和弓。内竹、中打ち、外竹の三重構造になっており、にかわにより接着されている。

重藤の弓

重藤の弓

重籐の弓(しげどうのゆみ)は、弓張職人の手による汎用的な長弓。木材と竹をにかわで張り合わせ、藤(ふじ)を巻き付けて補強してある。軽くて手が滑りにくく、簡素だが実用性が高い。

海道一の弓取の弓

海道一の弓取の弓

海道一の弓取の弓(かいどういちのゆみとりのゆみ)は、今川義元所用の品と伝わる弓。義元は駿河国を中心に東海道の大部分を支配下に収め、海道一の弓取と讃えられた。弓取の元の意味は「弓を持つ者」であるが、転じて武士を指すようになり、東海道で一番の武士とはすなわち東海道で最も有力な大名にほかならない。節(ふし)に沿って握りから上下に伸びる羽飾りは安定性を高める役割を果たすが、この工夫は源平合戦で活躍した弓の名手、那須与一(なすのよいち)が始めたものだという。今川家は源氏の名門の分家であり、源平合戦での勝利にあやかる意味合いもあったと思われる。

楯穿ちの強弓

楯穿ちの強弓

楯穿ちの強弓(たてうがちのごうきゅう)は、改良を加えて矢の威力を増した弓。素材が硬質のため弦を引く力が大きくなり、矢を射出する力も高まる。扱うには筋力を要するが、盾や具足を貫いて敵に傷を負わせやすい。

鎮西八郎の弓

鎮西八郎の弓

鎮西八郎の弓(ちんぜいはちろうのゆみ)は、平安時代末期の猛将、源為朝(みなもとのためとも)所用と伝わる剛弓。為朝は生まれつきの乱暴者で、親から勘当され九州に追放されたが、武力で一帯を制覇して鎮西八郎を名乗った。のちの保元の乱(ほうげんのらん)では一本の矢で二人を射倒すなどめざましい活躍を見せ、剛勇無双の弓の使い手として恐れられた。

与一の弓

与一の弓

与一の弓(よいちのゆみ)は、源平合戦で活躍した武将、那須与一(なすのよいち)が愛用したといわれる弓。与一は源義経に従って屋島(やしま)の戦いに参加、平家の将兵が軍船に扇を掲げて源氏軍を挑発すると、見事これを一矢で射落とし、味方の士気を大いに高めた。節(ふし)に沿って握りから上下に伸びる羽飾りが安定性を高める役割を果たし、狙いをつけやすく精密射撃に向いている。

両面宿儺の弓

両面宿儺の弓

両面宿儺の弓(りょうめんすくなのゆみ)は、日本神話に登場する異形の化け物、両面宿儺が使用したという強弓。二つの大きな顔と計八本の手足を持った両面宿儺は、仁徳(にんとく)天皇の治世に飛騨国(現在の岐阜県北部)に出現したとされる。四本の腕に持った複数の武器を振るって暴虐を極め、民から収奪を行ったため、剛の者として名高い武振態(たけふるくま)という人物に討伐された。各所の寺社に両面宿儺の姿を模した像が残されているが、見慣れぬ異国風の甲冑で身を固め、剣・斧・弓を装備しているものが多い。

西国無双の弓

西国無双の弓

西国無双の弓(さいごくむそうのゆみ)は、「西国無双」と豊臣秀吉に讃えられた立花宗茂が愛用した弓。
文武両道の才人であった宗茂は弓の製作技術も習得していたと知られ、この弓も彼自身の手によるものと思われる。
とある戦勝の宴の最中、鉄砲の有用性を語る黒田長政に対し、宗茂は弓こそ優位と譲らず口論となった。そこで同じ編み笠を的に互いの武器で射撃精度を競い、どちらが優れた武器かを試すことになった。見事勝った宗茂は諸将の賞賛を得るが驕らず、使用した武器を友情の証として互いに贈り合ったという。

雷上動

雷上動

雷上動(らいしょうどう)は、源頼政(みなもとのよりまさ)が鵺(ぬえ)を射落とすのに使ったとされる弓。鵺はサルの顔、トラの手足、ヘビの尾を持つ妖怪で、毎夜不気味な声で鳴いては都を脅かしたという。弓の腕を見込まれて頼政は討伐を命じられ、見事鵺を退治、名刀「獅子王(ししおう)」を褒美として授かった。春秋時代の楚(そ)の国にいたという弓の名手、養由基(ようゆうき)の弓でその娘から、酒呑童子(しゅてんどうじ)や土蜘蛛(つちぐも)を退治した源頼光(よりみつ)に託され、のち子孫である頼政に伝わったという。

角突弓

角突弓

角突弓(つののつきゆみ)は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が所持していたといわれる伝説の弓。征夷大将軍に任じられ、地方平定の大功を上げた名将、坂上田村麻呂は弓の名手としても知られ、紀伊国(現在の和歌山県)を脅かした鬼、金平鹿(こんへいか)との戦いでは、童子に姿を変えた千手観音の化身から弓を授かり、鬼の左目を射貫いたという。また、陸奥国(東北地方)に暴威を振るった悪路王(あくろおう)という鬼神も弓で討ち取ったとする言い伝えもある。

扇落としの弓

扇落としの弓

扇落としの弓(おうぎおとしのゆみ)は、那須与一が弓試して用いたとされる弓。那須与ーは源頼朝に仕えた弓の達人で、源平合戦に参加した。ある戦いで、平家軍から弓試しで挑発され、源氏の軍中で弓の名手が探された。推挙された与一は失敗すれば自害する覚悟でこれに応じる。八幡神の加護を念じて放たれた矢は的として掲げられた扇を見事に射落とし、与一はこの功により備中国に領地を賜ったという。

御持弓

御持弓

御持弓(おもちゆみ)は、卜部季武(うらべのすえたけ)が愛用したとされる弓。季武は正式な名乗りでは坂上姓で、英雄・坂上田村麻呂の子孫。田村麻呂は弓の達人であり、千手観音の化身から授かった弓で何体もの鬼を討ち取ったと伝わる。季武も、糸で吊るした針を射落とすほどの腕前であったという。

五人張りの弓

五人張りの弓

五人張りの弓(ごにんばりのゆみ)は、五人がかりでようやく弦を掛けられるほどの強弓。無双の弓の使い手として有名な源氏の猛将、源為朝は保元の乱においてこの弓を用いて一本の矢で二人の鎧武者を射倒し、大いに恐れられた。戦後、為朝は流刑されたが、その地でも強弓を武器に暴れ回り、討伐に差し向けられた兵の乗る小型船も一矢で沈めてしまったという。

神通の弓

神通の弓

神通の弓(じんつうのゆみ)は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が鬼神討伐に用いたといわれる弓。征夷大将軍に任じられ、地方平定の大功を挙げた名将、坂上田村麻呂は弓の名手としても知られ、何体もの鬼を弓矢で討ち取ったとされる。「田村の草子」によると、数千体に分身した鬼神へ田村麻呂が鏑矢を放つと、神通の力により鏑矢が分裂し全ての鬼神を射倒したという。のちにこの弓は神体として神社に祀られた。