武器_近接_刀 のバックアップ(No.15)


木刀

木刀 木刀(納刀)

木刀(ぼくとう)は、剣術の稽古に用いる木製の刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。

美濃伝打刀

美濃伝打刀 美濃伝打刀(納刀)

美濃伝打刀(みのでんうちがたな)は、美濃国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。

備前伝太刀

備前伝太刀 備前伝太刀(納刀)

備前伝太刀(びぜんでんたち)は、備前国の刀工が鍛えた太刀。反りが深く、突きよりも斬りの攻撃に向いている。

備前伝打刀

備前伝打刀 備前伝打刀(納刀)

備前伝打刀(びぜんでんうちがたな)は、備前国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃のバランスに優れている。

大和伝太刀

大和伝太刀 大和伝太刀(納刀)

大和伝太刀(やまとでんたち)は、大和国の刀工が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

大和伝打刀

大和伝打刀 大和伝打刀(納刀)

大和伝打刀(やまとでんうちがたな)は、大和国の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

蜥蜴丸

蜥蜴丸 蜥蜴丸(納刀)

蜥蜴丸(とかげまる)は、信越地方の伝承で語られる妖刀。ある男がこの刀を携えて近隣の村を悩ませる妖怪退治に向かったところ、妖怪のねぐらで返り討ちに遭ったが、この刀がひとりでに鞘から抜け、一刀のもとに妖怪を斬り捨てたという。しかし、のちに大飢饉によりその村が滅びてしまったことから、刀に関わった者全てに災いを為すともいわれる。

千手院太刀

千手院太刀 千手院太刀(納刀)

千手院太刀(せんじゅいんたち)は、大和国千手院派の刀工が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

千手院打刀

千手院打刀 千手院打刀(納刀)

千手院打刀(せんじゅいんうちがたな)は、大和国千手院派の刀工が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

備前長船

備前長船 備前長船(納刀)

備前長船(びぜんおさふね)は、備前国邑久郡長船を拠点とした刀工集団、長船派によって鍛えられた太刀。

備前一文字

備前一文字 備前一文字(納刀)

備前一文字(びぜんいちもんじ)は、備前国の刀工集団である一文字派が鍛えた打刀。「一」と銘打たれている。

当麻国行

当麻国行 当麻国行(納刀)

当麻国行(たいまくにゆき)は、大和国当麻派の刀工、国行が鍛えた太刀。打刀に比べて刃渡りが長く反りも強いため、振り下ろして斬る攻撃に向いている。

菊一文字

菊一文字 菊一文字(納刀)

菊一文字(きくいちもんじ)は、備前国の刀エで福岡一文字派の祖、則宗が鍛えた打刀。則宗は後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた功績により菊紋を銘に入れることを許された。

無常刀

無常刀 無常刀(納刀)

無常刀(むじょうとう)は、斎藤道三が佩用した刀。刀工は不明だが、一説では妖怪を狩る特殊な集団の技術が用いられている、とも。号の無常とは万物が生滅変化して移り変わり、同じ状態で留まり続けるものはないという仏教の考え方を表している。道三は千変万化する水に人生の真理を見出し、家紋を波を意匠としたものに改めたという。

保昌貞吉

保昌貞吉 保昌貞吉(納刀)

保昌貞吉(ほうしょうさだよし)は、大和国保昌派の刀工、貞吉が鍛えた打刀。反りが浅く、突きと斬りの攻撃の両方に優れている。

長船兼光

長船兼光 長船兼光(納刀)

長船兼光(おさふねかねみつ)は、備前国の刀工、備前長船兼光が鍛えた太刀。江戸時代、刀剣の試し斬り役を務めていた山田浅右衛門により日本刀の最上級とされる最上大業物に選ばれている。

有動刀

有動刀 有動刀(納刀)

有動刀(うどうとう)は、斎藤義龍が所持していた名刀。有動刀という号の由来は明らかではないが、美濃国・関の刀工、兼常(かねつね)の作として知られる。兼常を名乗った刀匠は複数いるが、この刀を鍛えた兼常は「手棒兼常」の異名を持ち、切れ味の鋭さで高く評価された。のちに織田信長から関鍛冶総領事に任じられている。

古備前友成

古備前友成 古備前友成(納刀)

古備前友成(こびぜんともなり)は、備前国の名匠、友成の作による太刀。友成は山城国の三条小鍛冶宗近、伯耆国の大原安綱と並ぶ三名匠のひとり。備前物のうち、特に友成、正恒(まさつね)、包平(かねひら)らによる初期の古刀は古備前と呼ばれ、多くの武将によって愛用されたほか、進物としても喜ばれた。

九字兼定

九字兼定 九字兼定(納刀)

九字兼定(くじかねさだ)は、美濃国の関の刀匠、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)による銘入りの打刀。裏銘に「臨兵闘者皆陣烈在前」の九字が打たれており、この名がついた。室町時代に発祥した歴代兼定のうち特に二代目、通称「之定(のさだ)」の作は至高とされ、武田信虎ら多くの武将の愛刀となっている。

彦右衛門一文字

彦右衛門一文字 彦右衛門一文字(納刀)

彦右衛門一文字(ひこえもんいちもんじ)は、備前国の福岡一文字派の刀工によって鍛えられた名刀。銘には「一」とのみあり作者は不明ながら、同じく備前の長船(おさふな)派の作と肩を並べる名刀である。彦右衛門は持ち主である鳥居元忠の通称。元忠は幼い頃から徳川家康に近侍し苦楽を共にした腹心。三方ヶ原や長篠に参加して武田家と死闘を演じたほか、上田では真田家と戦い、豊臣家への臣従後も小田原征伐中に家康の窮地を救うなどの活躍を見せた。

実休光忠

実休光忠 実休光忠(納刀)

実休光忠(じっきゅうみつただ)は、備前国の刀工集団・長船派の刀匠、光忠(みつただ)による打刀。号は、愛刀家として知られる三好実体が所持していたことに由来する。実休が討ち死にした際に分捕られ、その後織田信長に献上された。信長はこの刀を特に好んで差料とし、最期の地である本能寺においてもこれを振るったと伝えられている。

星切の太刀

星切の太刀 星切の太刀(納刀)

星切の太刀(ほしきりのたち)は織田信忠が家督相続の際、信長より譲り受けた伝来の名刀。もとは仇討ちで知られる曾我兄弟の弟・五郎時致(ときむね)が使用した太刀と伝わる。作り変えにより、星のような金銀七色の光を放つ刀身を持ち、この名で呼ばれた。本能寺の変の後、ヤスケは二条城の信忠のもとへ加勢に駆けつけ、この太刀を授かったという。

甲斐国江

甲斐国江 甲斐国江(納刀)

甲斐国江(かいくにごう)は、越中国(現在の富山県)の名工、郷義弘(ごうのよしひろ)が鍛えた太刀。甲斐(山梨県)武田家に伝わり、武田信玄(しんげん)、子の勝頼(かつより)が愛用したことが知られている。

にっかり青江

にっかり青江 にっかり青江(納刀)

にっかり青江(あおえ)は、備中国(現在の岡山県西部)青江派の刀工、貞次(さだつぐ)が鍛えた名刀。にっかりと笑う女の幽霊を斬ったところ、石塔が真っ二つになっていたという伝説からその名が付けられた。のちに柴田勝家(しばたかついえ)の所有となる。

ソハヤノツルギ

ソハヤノツルギ ソハヤノツルギ(納刀)

ソハヤノツルギは、筑後国の高名な刀工・三池典太光世(みいけでんたみつよ)の手による太刀。坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が用いた伝説の名刀を模したもので、徳川家康の佩刀となる。坂上田村麻呂は平安時代に活躍した史上屈指の名将で、奥州や蝦夷へ遠征して豪族を従え、数々の武勇伝を残している。また、もと盗賊であった鈴鹿御前という女性と協力して、当時伊勢国の鈴鹿山にはびこった鬼の大頭目らを倒したという伝説も残る。

振分髪広光

振分髪広光 振分髪広光(納刀)

振分髪広光(ふりわけがみひろみつ)は、相模国の刀工・広光の作による名刀。広光は高名な正宗(まさむね)の弟子。吉川広家が所持した。銘にある振分髪とはお下げ髪で童女のこと。せっかくの貴重な伝来の太刀が磨上げ(切り詰め)で打刀に作り変えられたことを、あたかも和歌の恋歌に登場する女性が一人前になったかのように美しく例えたものである。また、名は細川藤孝が詠んだ歌に由来するともされる。

浅井一文字

浅井一文字 浅井一文字(納刀)

浅井一文字(あざいいちもんじ)は、浅井長政が所持していた名刀。織田信長の妹、お市の方が浅井家に輿入れしたときに織田家から贈られた品。備前国の刀工集団である福岡一文字派の刀匠、宗吉(むねよし)の作とされる。宗吉は後鳥羽上皇が鍛刀技術向上のために定めた制度、御番鍛冶に選出された名工である。

舞踊刀

舞踊刀 舞踊刀(納刀)

舞踊刀(ぶようとう)は、舞で用いられる刀。扱いやすいよう軽量の作りで、特に入念に全体の重量バランスが取られている。現代では舞踊刀は刃引きの刀であるのが普通だが、戦乱の世においては踊りの舞台を騒がす無法者も珍しくなく、自衛のためにも実戦に耐えうる刀を用いたという。

八丁念仏

八丁念仏 八丁念仏(納刀)

八丁念仏(はっちょうねんぶつ)は、備前国の片山一文字派・行家(ゆきいえ)が鍛えた名刀。雑賀衆の頭領、雑賀孫一が所持した。この刀で敵の僧兵を斬ったところ、念仏を唱えながら八丁(約880メートル)も歩いたのち身が裂け絶命したと伝わっており、この名が付けられた。地面を突くと串団子のように小石が刀身に刺さるため、またの名を八丁念仏団子刺し(はっちょうねんぶつだんござし)ともいう。

天狗切

天狗切 天狗切(納刀)

天狗切(てんぐきり)は無銘ではあるが名高い刀工の作と思われる刀。柳生石舟斎が所有し、反りは強いが長さなどは打刀の特徴を備える。上泉信綱の門人となった石舟斎は、天狗を相手に毎夜修行に励んだとされ、ある夜ついに天狗を一刀のもとに斬り捨て、そのあとには真っ二つになった巨石が残されたという。あやかしさえ切り祓うほどの気迫は、やがて無刀取りの奥義開眼につながってゆく。

安宅貞宗

安宅貞宗 安宅貞宗(納刀)

安宅貞宗(あたぎさだむね)は、相模国の刀匠・貞宗に鍛えられた名刀。貞宗は高名な正宗(まさむね)の弟子。かつて三好家臣・安宅冬康を斬った刀とされ、この名がある。豊臣秀吉から一時前田家に授けられたものの、のち小早川秀秋の手に渡った。もとは長い太刀の作りであったが、磨上(すりあげ)のエ程を経て刃長を切り詰められている。「水に降る雪」の別名を持つ。

雷切

雷切 雷切(納刀)

雷切(らいきり)は立花闇千代の実父、立花道雪が雷を切る際に用いたと伝えられる名刀。
天文17年(1548年)、道雪が豊後国の大木の下で昼寝をしていると、天気が一変し夕立となった。その時、黒雲から落ちた雷を、道雪は枕元の太刀「千鳥」にて切り払ったという。剣の達人とはいえ、落ちる雷を切るのは難しく、これは雷獣や鵺などあやかしの類に襲われたのだと思われる。この件の後、道雪は「千鳥」の名を改め「雷切」とし、立花家の家宝とした。雷切は道雪の死後、立花闇千代に受け継がれ、闇千代が「わらわが雷を切れるのは、この刀のおかげじゃ」と侍女に漏らしていたことから、闇千代もあやかしの類を斬った経験があると推し量れる。

波遊ぎ兼光

波遊ぎ兼光 波遊ぎ兼光(納刀)

波遊ぎ兼光(なみおよぎかねみつ)は備前国の長船派の刀工・兼光の手による名刀。
豊臣家の所蔵であったが、のちに立花宗茂の所有となった。経緯には諸説あるが、宗茂を「西国無双」と讃えた豊臣秀吉が授けたともいわれる。
野外で刺客をこの刀で斬りつけて撃退したところ、刺客は川を泳いで逃げたが対岸に上がった途端に両断されて崩れ落ちたという。切れ味が鋭すぎて、斬られても痛みや出血を自覚できなかったものと推測される。

明智近景

明智近景 明智近景(納刀)

明智近景(あけちちかかげ)は、明智光秀が所持していた名刀。備前国の刀工集団・長船派の刀匠、近景の作で、彼の名前と作成年「暦応三年(1340年)」が銘として刻まれている。加えて、金の象嵌で「明智日向守所持」と所持銘があり、光秀がこの刀を特に気に入っていたことがうかがえる。

備前景安

備前景安 備前景安(納刀)

備前景安(びぜんかげやす)は、塚原卜伝が愛用した名刀。景安は備前国の刀工集団・長船派の刀工で、長船派の祖光忠(みつただ)の弟である景秀(かげひで)に学び、独自の工夫を凝らした作風を編み出したという。

水神切兼光

水神切兼光 水神切兼光(納刀)

水神切兼光(すいじんぎりかねみつ)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、兼光が鍛えた名刀。古くから河川の氾濫は水神の仕業と考えられており、上杉家の重臣であった直江兼続(なおえかねつぐ)もこの刀を用いて水神を切る祈祷を行い、洪水を収めたという伝説がある。

圧切長谷部

圧切長谷部 圧切長谷部(納刀)

圧切長谷部(へしきりはせべ)は、相模国の正宗十哲(まさむねじってつ)のひとりとされる長谷部国重による作。棚の下に隠れた罪人を成敗するためこの刀を当てたところ、軽く圧したのみで棚ごと斬ってしまったとされ、すさまじい切れ味を誇る。織田信長が差料としたが、のち黒田官兵衛が豊臣秀吉に伴われて信長に初の目通りをした際、信長より拝領したと伝わる。

鬼顎

鬼顎 鬼顎(納刀)

鬼顎(おにあざと)は、何体もの鬼の骨や皮を組み合わせて作られた刀。あえて十分な供養をしないことで怨念や殺意を引き出し、それを殺傷力へと転化させている。各所に結びつけられた組紐や数珠は、その呪法を維持するためのもので、決してほどくべからずと固く戒められている。

早鷹

早鷹 早鷹(納刀)

早鷹(はやたか)は、加藤段蔵が愛用した刀。無銘ながら優れた切れ味を持つが、忍びにとって正面きっての戦闘は忌避すべきものであり、敵との打ちあいや鍔迫り合いは考慮されていない。柄頭(つかがしら)にあしらわれた鳥の羽根は、単なる装飾ではなく、幻術の仕込みの一つである。幻術使いは、敵が羽根の動きに気を取られた一瞬を利用して術に落とすという。

三日月宗近

三日月宗近 三日月宗近(納刀)

三日月宗近(みかづきむねちか)は天下五剣に数えられる名刀の一つ。
平安時代の刀匠・三条小鍛冶宗近の作。名の由来は刃紋にあり、三日月形の打除けが多く見られることから名付けられ、天下五剣のなかで最も美しい剣とされた。三日月には、外敵退散・国家安寧を御利益とする妙見菩薩の象徴という面がある。この刀はただ美しいだけではなく、国に巣食う妖魔を退ける霊的な力もあったとされ、時の天下人達に家宝として愛された。

数珠丸恒次

数珠丸恒次 数珠丸恒次(納刀)

数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)は天下五剣に数えられる名刀の一つ。平安時代の備中の刀工・青江恒次の作であると言われている。
文永11年(1274年)、身延山を開山する際、護身用として信者より日蓮へ贈られたもので、日蓮は柄に数珠を巻き、魔除としていたため、この名が付いた。その後、身延山久遠寺の守護神として信仰されていた七面天女が日蓮の前に現れ、さらに紅龍の姿になったという言い伝えがあるが、この剣に憑いた守護霊による九十九武器ではないかと思われる。

大典太光世

大典太光世 大典太光世(納刀)

大典太光世(おおでんたみつよ)は天下五剣に数えられる名刀の一つ。
筑後の刀匠集団・三池派の開祖である三池典太光世による平安後期の作。病の重なっていた前田利家の四女・豪姫の治癒祈願として、豊臣秀吉から前田家にこの刀が貸し与えられると、豪姫の病は立ち所に癒えたという。一説によれば病の元凶は豪姫に取り憑いた妖狐であり、利家がこの刀の力を借りて討伐したのではと言われている。

童子切安綱

童子切安綱 童子切安綱(納刀)

童子切安綱(どうじきりやすつな)は天下五剣に数えられる名刀の一つ。
平安時代、日本刀の始祖とも言われる伯耆国の大原安綱によって鍛えられた。丹波大江山を根城としていた鬼の頭領酒呑童子の首を、源頼光がこの刀で切り落としたことから、童子切の名で呼ばれるようになった。陰陽師・安倍晴明の秘術によって、刀には頼光の義の魂が乗り移っており、持ち主を勇猛剛毅の気質に変えると伝えられている。

鬼丸国綱

鬼丸国綱 鬼丸国綱(納刀)

鬼丸国綱(おにまるくにつな)は天下五剣に数えられる名刀の一つ。
鎌倉時代に栄えた刀匠の一派である、粟田口の末弟・国綱の作。
人の手に依らず刀の意思で鬼を斬ったという逸話から、鬼丸の名がつけられた。
この刀は妖鬼が蓄えたアムリタを好み、もし主が妖鬼と成り果てれば、主ごとアムリタを食らうのだという。
故にこの刀は、外道に堕ちぬ強靭な心魂を持った武士に受け継がれていった。

石田正宗

石田正宗 石田正宗(納刀)

石田正宗(いしだまさむね)は相模国の名高い刀工、正宗が鍛えた打刀。石田三成が所持した。
刀身に残る大きな切り込み痕はいつ付いたのか定かではないが、棟や鎬など、持ち手側に付いていることから、三成の守護霊である飯綱が剣に憑く際に暴れ引っかいたものではないかとも言われ、三成が飯綱と剣の扱いに苦心していたことを思わせる。
慶長5年(1600年)、三成が佐和山城に蟄居処分となった折、徳川家康は大坂から佐和山までの道中を気遣い、次男である結城秀康に三成を護衛させた。三成は、その礼として正宗を秀康に送ったが、この正宗にも切り込みが入っていた。秀康は、その刀を生涯にわたって愛用したという。

同田貫正国

同田貫正国 同田貫正国(納刀)

同田貫正国(どうだぬきまさくに)は、豊臣家臣の加藤清正(かとうきよまさ)が愛用したという剛刀。肥後国菊池(現在の熊本県北部)同田貫を拠点とした名工、正国の作。正国には清国(きよくに)という兄がいた。肥後を所領とした清正から兄弟それぞれが一字ずつ拝領し、両名揃ってそのお抱え刀工になったものと伝わる。同田貫で鍛造される剣は装飾性に乏しく実用一辺倒で知られ、美術品としての価値は低いとも評される。反面、極めて頑丈に作られており、戦場での信頼性の高さから愛用する者も多かったという。

草薙の剣

草薙の剣 草薙の剣(納刀)

草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は神代より日本に伝わる伝説の名剣。別名、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。スサノオがヤマタノオロチを斬り倒した際、尾から飛び出してきたと神話に語られる。スサノオからアマテラスオオミカミに献上されたのち、東征に向かうヤマトタケルに授けられた。ヤマトタケルは戦地で猛火に囲まれるが、この剣で草を薙ぎ払って窮地を脱したとされ、以来この名で呼ばれるようになった。元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いの際に海に沈み、その後の行方は不明であるという。

百鬼刀

百鬼刀 百鬼刀(納刀)

百鬼刀(ひゃっきとう)は、鬼の意匠が施された刀。銘が刻まれていないため誰の作かは不明だが、鬼気迫る出来映えで見る者の目を奪う。鬼を冠する多くの言葉が示すとおり、日本において鬼とは強さの象徴である。この刀は、力や技といった理を超えた鬼の強さにあやかろうとしたものであろう。

鬼切

鬼切 鬼切(納刀)

鬼切(おにぎり)は、多田源氏の祖、源満仲の命で作られた二振りの名刀の一つ。満仲の子、頼光に受け継がれ配下である渡辺綱に貸し与えられた。ある夜、京の一条戻橋にて綱は美女と出会うが、その女が鬼の変装だと看破、見事その腕を切り落としたという。以後、この刀は鬼切と呼ばれるようになった。

薄緑

薄緑 薄緑(納刀)

薄緑(うすみどり)は、源義経の愛刀。「平家物語」「源平盛衰記」「太平記」などの戦記で、義経が幾多の戦で薄緑を振るって活躍するさまが描写されている。もとの名は吠丸(ほえまる)といい、義経がまだ若い頃に、熊野の地で当時の別当から贈られた。義経は熊野の春の山野にちなんでこの刀を薄緑と改名したという。

顕明連

顕明連 顕明連(納刀)

顕明連(けんみょうれん)は、大嶽丸が所持していた三振りの宝剣「三明の剣」のうちの一つ。「田村の草子」によると三明の剣は阿修羅の王から大嶽丸に与えられたもので、それぞれが一薙ぎで千人を倒す殺傷力を持つという。顕明連には復活の霊力があるとされ、大嶽丸は一度倒されたのち顕明連の力により復活し、再度討伐されて宇治に封印されたと伝わる。

龍剣

龍剣 龍剣(納刀)

龍剣(りゅうけん)は、龍神の牙から削りだされたと伝えられる破邪の霊刀。
龍の一族により代々受け継がれてきた。彼らははるか神話の時代に龍剣をもって邪悪を討った戦士の血を引くものたちであり、隼流の忍者はこの一族の末裔であるという。
絶大な力が秘められており、みだりにこのカを振るうことは世を騒がし乱を呼ぶことにつながるため、真に必要とされるとき以外は封印によって力が抑えられている。