防具_シリーズ_軽装 のバックアップ(No.12)
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道着(男性)
武術の鍛錬で上半身にまとう衣服。藍染めの布には消臭効果があり、汗で汚れがちな道着に適している。
武術の鍛錬で下半身にまとう衣服。藍染めの布には消臭効果があり、汗で汚れがちな道着に適している。
道着(女性)
武術の鍛錬で上半身にまとう衣服。吸湿性に優れ肌触りの良い晒木綿で作られている。
武術の鍛錬で下半身にまとう衣服。藍染めの布には消臭効果があり、汗で汚れがちな道着に適している。
陣借り者の鎧
陣借り者の鎧(じんがりもののよろい)は、仕官を求めて正式な雇用を経ずに参戦する兵が好んで用いた軽量の防具。大きな活躍をすれば仕官や恩賞が期待できるが、負け戦だと援護もされない立場であるため戦況を見極めて迅速果断に行動する必要があった。
陣笠(じんがさ)は皮革を漆で固めたもので、兜の代用品として使われた。
胴(どう)は、革の小札を黒糸で綴った腹当(はらあて)。柄の入った布をたすき掛けにしているのは、戦場で目立つための工夫であろう。
籠手(こて)は筒状の布地に皮革を縫い付けたもので、要所が筋金で補強されている。
膝甲(ひざよろい)には小さめではあるものの佩楯(はいだて)が付属しており、脚の負傷を特に警戒していたことがうかがえる。
脛当(すねあて)は革の板を筋金で補強したもので、紐で脚に固定して装着する。
盗賊の軽鎧
盗賊の軽鎧(とうぞくのけいよろい)は、戦乱により生活基盤を破壊され、略奪を働くようになった者が着用したありあわせの防具。
面具は額当と呼ばれるもので、粗悪な作りだが、攻撃を受けやすい前頭部を守れる。
胴は胴当と呼ばれるものだが、いかにも間に合わせて用意された粗悪な出来である。毛皮を羽織ることで多少防御性能を高めてある。
籠手は薄い革製で、無造作に巻きつけた布で補強されている。防御性能は高くなく、作りも粗い。
膝甲は腰から太腿を守るが、作りは粗く覆う範囲は最小限となっている。
脛当は薄い革製で、無造作に巻きつけた布で補強されている。防御性能は高くなく、作りも粗い。
芝見の軽鎧
芝見の軽鎧(しばみのけいよろい)は、草木に隠れて敵情を探る芝見が好んで使用した軽量の防具。
面具は、わずかに額と頬のみが鉄で保護されている。防御性能は低いが、視界を確保しやすい。
胴は、鎖帷子で上半身を覆い、胸部を皮で補強してある。
籠手は、軽い革製。動きやすさを重視して作られているため、防御性能は低い。
膝甲は、布地に金属の板が縫い付けてあるだけで、防御性能は高くないが動きやすい。
脛当は軽い革製で、脛から下を覆う。防御性能は低いが、動きやすく立ち回りやすい。
忍び装束
忍び装束(しのびしょうぞく)は、忍者が身に着ける装束。任務に支障がないよう軽量で動きやすく、暗闇で目立たないものが好まれた。
頭巾は、黒布で目元以外をすべて覆うように着用。その上から固い革を黒布で包んだ鉢巻を着け、頭部を保護する。
上衣は、黒布製。その下に薄い鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでおり、斬撃に対してはある程度の防御力を期待できる。
手甲は、細長い鉄板を三本、黒紐で綴ってある。簡素な作りだが斬撃を受けるのに十分な強度を備えている。
袴は、上衣と同様に黒一色で染め抜かれており、足さばきを妨げないよう、やや幅広の作りとなっている。
脚絆(きゃはん)は、固い練り革と厚手の布を筒状に組み合わせて黒紐で巻いたもの。防寒の効果もある。
神主の浄衣
神主の浄衣(かんぬしのじょうえ)は、神社において社務や祭儀を執り行う者の装束。
冠(かんむり)は、後部の装飾である櫻(えい)をそのまま垂らした垂纓冠(すいえいかん)。主に祭儀の際にかぶるもので、日常的には烏帽子(えぼし)を着用する。
狩衣(かりぎぬ)は、公家や神職が日常的に着用するもので、正装である束帯と比べると簡素な装いとなっている。その名のとおり、本来は狩猟の際に着用されていたもので、動きやすさを考慮した作りになっている。
手甲(てこう)は、野外で活動する際に、外傷や寒さから手を守るために用いられる。
袴(はかま)は、裾を紐で指し貫いて絞れるようにした、いわゆる指貫袴で、正装の際に用いられる大口袴と比べると非常に動きやすい作りになっている。
履物(きもの)は、黒漆の浅沓がよく用いられるが、歩きづらく脱げやすいため、野外での活動では脛まで覆う深沓が好まれる。
巫女の浄衣
巫女の浄衣(みこのじょうえ)は、神に仕え祈祷や占いを行ったり、奉納用の歌舞である神楽(かぐら)を舞う女性の装束。
頭飾りは前天冠(まえてんかん)と呼ばれるもので、花や葉を模した意匠は樹々の霊力を取り込む呪術的な意味合いを持つ。神事の際にはさらに花や葉のついた枝の実物を飾る場合もある。
白衣(ひゃくえ)は、白い小袖のことで、上半身にまとう日常着はこれのみだが、特別な神事や神楽では、その上から千早(ちはや)と呼ばれる白い羽織を纏う。
手甲(てこう)は、諸国を行脚する際などに、外傷や寒さから手を守るために用いられた。
緋袴(ひばかま)は、その名の通り緋色の袴のこと。原型は平安期の女官が着用していた長袴だが、野外でも動きやすいよう裾の短い切袴(きりばかま)が用いられるようになった。
履物(はきもの)は、草履や下駄が一般的だが、野外での活動が多い者は脛まで覆う深沓を用いることも多い。
風魔忍び装束
風魔忍び装束(ふうましのびしょうぞく)は風魔衆が着用したという忍び装束。風魔衆は箱根の山を拠点とし、北条家に仕えた忍者集団で、行商人や旅芸人を装って各地で諜報活動に従事した。
面具(めんぐ)は、鉢金とロ覆いを組み合わせたもの。懐中に忍ばせておける大きさで、着脱も容易。
上衣(じょうい)は質素な小袖だが、その下に鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでおり、偶発的な戦闘の備えとしている
籠手(こて)は、一見すると行商人が用いるものと変わらないが、内部に鉄板が仕込まれており、斬撃を受けるのに十分な強度を持つ。
袴(はかま)は、動きやすさを重視した括袴(くくりばかま)で、鎖帷子(くさりかたびら)を重ねた腰布で防御力を高めている。
脛当(すねあて)は、一見すると行商人が用いる脚絆と変わらないが、鉄板と固い皮を組み合わせて作られており、高い防御力を備えている。
弓取りの上衣
弓取りの笠(ゆみとりのかさ)は、侍が弓を射る際に好んで用いた綾藺笠(あやいがさ)と呼ばれる笠。強い日差しや風から射手の目を保護するほか、中央の突起部には髷(まげ)を収納できる。
弓取りの上衣(ゆみとりのじょうい)は、侍が弓を射る際に好んで用いた布製の直垂(ひたたれ)。衣が弓の弦に触れないよう、左半身には射籠手(いごて)を掛けている。軽量で防御力は低いが、弓の射撃に向いている。
弓取りの籠手は、侍が弓を射る際に好んで用いた革製の軽量な籠手。上衣の袖をまとめて弓を扱いやすくし、弦を引く際に負荷のかかる手首を保護している。また、右手のみ柔らかい革手袋を着け、直接弦に触れる指を傷から守る。
弓取りの袴(ゆみとりのはかま)は、侍が弓を射る際に好んで用いた、馬上でも着用できる袴。騎射用のため軽量で、長距離の移動にも向いている。遠出や狩猟の際には、脚を保護するために行縢(むかばき)という毛皮を袴の上に掛けた。
弓取り(ゆみとり)のわらじは、侍が弓を射る際に好んで用いた、わらで編んだ履物。鼻緒のある草履と異なり、長い緒を足首に巻きつけて着用する。防御力はなく乱戦には向かないが、軽量で滑りにくく身軽な行動を取りやすい。また、脚の力が指先までよく伝わり、馬上でも体勢を整えやすい。
行商人装束
行商人装束(ぎょうしょうにんしょうぞく)は各地を旅して商いを行う者たちが着用した装束。
鉢巻は、幅広の黒い手拭を額に巻いたもの。行商の道中、汗が目に入らないようにするなど、日常生活に根差した役目を持つ。
上衣は、鎖帷子を着込んだ上に、筒袖と羽織を重ねて腰ひもを結び、たすき掛けにする。本来は、野盗や獣から身を守るための装備である。
手甲は、肘から指の根元までを覆う形式のもの。銭を扱いやすいよう、指先はわざと露出している。弓矢も使いやすい。
袴は、上衣と同様の鎖を内部に編み込んで、強度を高めている。また、合わせて腰から下げた軽量の草摺(くさずり)が、腰回りをそれなりに保護する。
脛当は、黒漆塗の鉄板を用いた筒脛当。足首に束ねた藁を装着しているのは、行商で荒れた道を通る際、跳ねた砂や泥が入ってくるのを防ぐためである。
渡り装束
渡り装束(わたりしょうぞく)は、渡りと呼ばれた、河川での水運業をなりわいとした者たちが着用した装束。
頭巾は、鉄製の鉢を紙衣で覆い鉢金で締めたもの。紙衣は柿渋で撥水加工が施されており、防具としての機能を果たしつつも、防寒具としての意味合いが大きい。
上衣は、水上での作業を想定した簡素な構成。首から肩を保護する鎖製の満智羅(まんちら)と、喉から胸にかけて保護する喉輪(のどわ)を素肌の上に着ける。
手甲は、腕に巻いた生地に湾曲加工した硬質の木板を重ねて紐で縛り付けた簡素なもの。劣化を防ぐために柿渋を塗り重ねてある。
袴は、水場の作業を想定した膝丈の短袴(たんこ)で、簡素な草摺(くさずり)を下げて腰回りのみ保護している。
脛当は、巻脚絆に脛の前面を保護する硬質の木板を付けた簡素なもの。軽くて動きやすい。
山伏装束
山伏装束(やまぶししょうぞく)は、各地の霊峰で厳しい修行を積む修験者の装束。
頭襟(ときん)は、山伏が頭に着ける布製の黒い被り物。山中の瘴気を祓う効果があるという。
上衣は、山伏の法衣で鈴懸(すずかけ)とも呼ばれ、首から掛ける結袈裟(ゆいげさ)と共に着用する。
手甲は、修行の際に手を保護するための簡素な防具で、先端の輪を中指に通して着用する。
袴は、一般の袴とは形状の異なる独特なもので、引敷(ひっしき)と呼ばれる毛皮を腰の後ろに着ける。
わらじは、八葉蓮華(はちようのれんげ)に由来する八つの結び目があることから、「八目わらじ」とも呼ばれる。
美濃の蝮の衣
美濃の蝮の衣(みののまむしのころも)は、斎藤道三が着用したとされる衣。道三は下剋上により国盗りを果たし、美濃の蝮と呼ばれた。
上衣は、二重の筒袖に南蛮風の外套という構成。筒袖は左右で色を分けた片身替り(かたみがわり)で、衿は別の布を重ねた共衿(ともえり)。外套は道山の異名にちなみ、裏地に蝮の鱗を模した刺繍があるほか、乳(ち)の下の折り返しにも刺繍があるなど、贅沢な装飾が施されている。
袴は、黒布で作られた武者袴で、絹の帯で留める。裾に入れられたさりげない二本線が上品。一線を退いた道三らしいゆったりとした寛げる衣装である。
履物は、黒漆塗の駒下駄(こまげた)。上品に見えるが鉄製で重量があり、これで蹴られれば常人なら致命傷を負いかねない。足袋は、かつて道三が討った妖怪の革を、なめして作られたものらしい。
ソハヤ衆装束
ソハヤ衆装束(そはやしゅうしょうぞく)は、妖怪を狩る特殊な集団が身にまとう装束。妖怪退治の依頼以外で世俗と関わることがないためソハヤ衆の実態は謎に包まれている。隠れ里に棲み、妖怪を狩るために編み出した独自の武技や武器を用いるという。
面は、ソハヤ衆に代々伝わる意匠を象った鬼面で、相対する妖怪を威圧し装着者の闘志を高める。
上衣は、厚地の長い黒布を巻いて腰紐で留めた簡素なもの。胸の飾りは、妖怪の攻撃から身を守る効果があるという。
籠手は、部品の一部に妖怪の骨が使われており、軽量かつ強靭。
袴は、厚地の伊賀袴。生地には妖怪に由来する素材が織り込まれており、耐久性や伸縮性に優れている。
脛当は、脚絆に幅のある革紐を巻きつけたもの。長い距離を歩いても疲れにくいよう工夫されている。
陰陽師の狩衣(男性)
陰陽師の狩衣(おんみょうじのかりぎぬ)は、公卿のうち占術や祭祀を司る陰陽師が着用した略式の平服。
烏帽子(えぼし)は、円筒形の帽子。紙製で軽く、首などに負担がかからない。
上衣は、丸い立襟のゆったりした作りで袖が太い。脇や袖口の締め付けがなく、体を動かしやすい。
手甲は、厚手の布製で、手首や手の甲を保護する。
袴(はかま)は、指貫(さしぬき)と呼ばれる形式のもので、布に通した紐を引いて裾などを絞れる。
沓は、革を底にして袋状に布を縫い合わせたもので、足首以下を包める。
陰陽師の狩衣(女性)
陰陽師の狩衣(おんみょうじのかりぎぬ)は、公卿のうち占術や祭祀を司る陰陽師が着用した略式の平服。
烏帽子(えぼし)は、円筒形の帽子。紙製で軽く、首などに負担がかからない。
上衣は、丸い立襟のゆったりした作りで袖が太い。脇や袖口の締め付けがなく、体を動かしやすい。
手甲は、厚手の布製で、手首や手の甲を保護する。
袴(はかま)は、指貫(さしぬき)と呼ばれる形式のもので、布に通した紐を引いて裾などを絞れる。
沓は、革を底にして袋状に布を縫い合わせたもので、足首以下を包める。
忍び鎧
忍び鎧(しのびよろい)は、忍者が戦闘を前提とした任務に臨む際に着用した鎧。忍者の主な任務は情報収集や破壊工作であり、鎧ではなく動きやすさを重視した装束をまとうのが常であった。暗殺の場合でも直接的な戦闘以外の手段を用いることが多いが、なかには戦闘が不可避な任務も存在し、そのような場合に忍び鎧が用いられた。
面具(めんぐ)は、視界を遮らないものが好まれ、頬から顎までを保護する「頬当(ほおあて)」がよく用いられた。
胴(どう)は、厚手の練り革を組み合わせて急所を保護し、その下に薄い鎖帷子(くさりかたびら)を重ねている。
籠手(こて)は、篠金物と呼ばれる細身の鉄板を並べて黒糸で綴ったもの。侍が用いる籠手と比べても遜色のない防御性能を持つ。
膝甲(ひざよろい)は、前後に下げた厚手の佩楯は大腿部で固定されており、足捌きの邪魔にならないように配慮されている。
脛当(すねあて)は、複数の練り革を筒状に綴ったもの。正面中央部に鉄板を内包し、動きやすさと堅固さを兼ね備える。
雑賀衆の軽鎧
雑賀衆の軽鎧(さいかしゅうのけいよろい)は、鉄砲の扱いが得意な地侍の集団が着用する軽い鎧。
笠は、ありふれた形状の陣笠。軽量で射撃の際に邪魔にならない。
胴は、上衣の中に鎖帷子を着込む。肩に掛かった革紐には、早合(はやごう)と呼ばれる弾薬包を吊るして携帯する。
籠手は、細長い鉄板の並べた篠金物(しのがなもの)で肩までを保護できる。
膝甲は、革と麻布で作った佩楯(はいだて)を吊るしたもの。
脛当は、分厚い鉄板を組み紐で固定したもの。地面に座した姿勢を長く保つため、足首を支えやすくなっている。
焼討の軽鎧
焼酎の軽鎧(やきうちのけいよろい)は、火攻めに適した軽量の鎧。戦国時代の戦において、城や砦、民家に放火して敵陣を攻略する戦法は常套手段であった。火攻めを仕掛ける側も火災に巻き込まれる危険性があるため、耐火性を考慮した鎧を用意する場合もあった。
頭巾(ずきん)は、羅紗(らしゃ)と呼ばれる厚地の毛織物で作られ、火の粉を避けるため首下まで覆う。額は鉢金で保護している。
胴(どう)は、たすき掛けした小袖の上に胸当てを重ね、腰には羽織を畳んで結んでいる。
籠手(こて)は、合戦で使われる篠籠手と同じ作りだが、地に厚手の革が用いられており、炎の熱から腕全体を保護する。
膝甲(ひざよろい)は、革の小札をした佩楯を垂らす。耐火性、耐熱性に優れ、炎の熱さから下半身を保護する。
脛当(すねあて)は、厚手の刺し子で作られた脚絆に鉄板を重ねて結んだもの。炎や障害物から脛を保護する。
八咫烏の軽鎧
八咫烏の軽鎧(やたがらすのけいよろい)は、雑賀衆の頭領、雑賀孫一が着用したとされる軽鎧。雑賀衆は紀州国を本拠とする傭兵集団で、各国の大名家に雇われて数多の合戦を勝利に導いた。孫一は雑賀衆を束ねる鈴木家の頭領が代々称した名だが、特に織豊時代に活躍した雑賀孫一は、得意の鉄砲戦術によって織田軍を大いに苦戦させ、その武名を天下に轟かせている。
額当(ひたいあて)は、射撃の妨げにならぬよう可能な限り軽量化されたものとなっている。見た目は幅広の布を頭に巻いただけのようであるが、内部に鉄板が仕込まれており額を防御する。
身にまとう鎧の胴は、鎖帷子に上衣と陣羽織を重ねただけの軽装。黒革の陣羽織の背には、雑賀衆の旗印である八咫烏の紋章が型押しされている。
籠手は、陣羽織の着用を想定して袖が一体化した毘沙門籠手(ぴしゃもんごて)となっており、上腕部は小さく切った鉄板を革で包んで縫いつなげてある。
膝甲は、佩楯(はいだて)を腰から二枚下げる。下部は小さく切った鉄板を革で包んで縫いつなげてあり、大腿部を保護する。
脛当は、鉄板を蝶番で半筒上に組み合わせて紐で固定したもの。鉄砲を膝射(しっしゃ)で構えた際に立膝となる脛を保護するため、厚手の鉄板を用いている。
馬廻衆の鎧
馬廻衆の鎧(うままわりしゅうのよろい)は、大名の馬廻衆を務めた家臣が着用した具足。馬廻衆とは戦時に大名の護衛や伝達の任に当たった武士をいう。
兜は、中央に筋を立てた南蛮兜。味方が判別しやすいよう、錏(しころ)の引廻しに白いヤクの毛を植えている。
胴は、桶川二枚胴で、左肩のみ当世袖が付く。全般、動きやすさを重視して軽量化が図られているが、胸部周りはやや厚みを付けて、急所の守りを強化している。
籠手は、左腕は上腕から手甲までを覆う籠手を着用。右腕は軽量化と取り回しの良さを踏まえて筒籠手のみを着用し、上腕は肌が露出している。
膝甲は、草摺(くさずり)のみ。軽量化と取り回しの良さを踏まえて佩楯(はいだて)は着用しない。陣羽織を腰に巻き荒縄で留め、自身が馬廻衆であることを誇示している。
脛当は、軽量化を図るために脛当を採用。足先は甲懸(こうがけ)で守られている。
宮司の浄衣
宮司の浄衣(ぐうじのじょうえ)は、一つの神社の長たる神職が纏う装束。
冠(かんむり)は、後部の装飾である纓(えい)をそのまま垂らした垂纓冠(すいえいかん)。主に祭儀の際にかぶるもので、日常的には烏帽子(えぼし)を着用する。
狩衣(かりぎぬ)は、公家や神職が日常的に着用するもので、正装である束帯と比べると簡素な装いとなっている。その名のとおり、本来は狩猟の際に着用されていたもので、動きやすさを考慮した作りになっている。
手甲(てこう)は、野外で活動する際に、外傷や寒さから手を守るために用いられる。
袴(はかま)は、裾を紐で指し貫いて絞れるようにした、いわゆる指貫袴で、正装の際に用いられる大ロ袴と比べると非常に動きやすい作りになっている。
履物(はきもの)は、黒漆の浅沓がよく用いられるが、歩きづらく脱げやすいため、野外での活動では脛まで覆う深沓が好まれる。
歩き巫女装束
歩き巫女装束(あるきみこしょうぞく)は、特定の神社に所属せず、各地を旅しながら人々の求めに応じて祈祷や占いを行った女性の装束。甲斐国・信濃国を支配した武田氏は信濃国出身の歩き巫女をくノーとして使ったという。
頭飾りは前天冠(まえてんかん)と呼ばれるもので、花や葉を模した意匠は樹々の霊力を取り込む呪術的な意味合いを持つ。
上衣(じょうい)は暗色の小袖で、防寒用に羽織を纏っている。
手甲(てこう)は、外傷や寒さから手を守るために用いられた。
緋袴(ひばかま)は、その名の通り緋色の袴のこと。原型は平安期の女官が着用していた長袴だが、野外でも動きやすいよう裾の短い切袴(きりばかま)が用いられるようになった。
履物(はきもの)は、脛まで覆う深沓を用いるのが一般的だが草履や下駄を着用する場合もある。
赤鬼の軽鎧
赤鬼の軽鎧(あかおにのけいよろい)は、徳川四天王のひとり、井伊直政が所有したとされる当世具足。直政は旧武田家より「赤備え(あかぞなえ)」と呼ばれる精鋭部隊を吸収して配下に加え、「井伊の赤鬼」の異名で恐れられた。徳川家康の重臣として豊臣、真田、北条家などと戦う際、この具足を身に着け、大将ながら先陣を切って戦ったとされる。
兜は、鉢に加え、錏(しころ)や吹返しまで総朱塗の仕上げ。巨大で金色に輝く天衝(てんつき)の脇立が敵対する者を威圧する。
胴は、朱漆塗の鉄板を留め合わせた桶側胴(おけがわどう)。馬上での動きやすさを重視し、袖鎧は簡素化されている。
籠手は、胴などと同じく朱色で染まった厚手の革と薄い鉄板で作られており、肌に馴染んで動きを妨げない。
膝甲は、胴と同じく朱漆塗の板札(いたざね)を組み合わせたもの。腰下から膝上までを広く防御する。
脛当は、朱色の漆で仕上げた鉄板を半円筒状に曲げ、留め合わせたものを紐で固定し装着する。
往年の名軍師の衣
往年の名軍師の南蛮和装は、豊臣秀吉に軍師として仕えた黒田官兵衛が着用したとされる装束。官兵衛は織田軍の中国攻めに際して秀吉に仕えるようになって以降、その謀才で秀吉の天下取りを支えた。キリシタン大名としても知られる官兵衛だが晩年は剃髪して如水と号している。その紆余曲折の歩みから得られた柔軟な価値観は、南蛮趣味を取り入れた和装にも見てとれる。
頭巾は、白絹で織られた上等なもの。絹糸は美しく丈夫なだけでなく、強い霊力を宿すともいわれる。
衣の衿付きシャツは渡来品。上に重ねる羽織の背には、黒田家の家紋「藤巴」(ふじともえ)が金糸で刺繍されている。
絹地の袴は、折り目が金糸の刺繍で彩られ、天下人に仕えた往年の名軍師として相応しい風格を醸している
外国人宣教師の履物を参考に、和装に合うようにあつらえた短靴は、草鞋よりも足の負担が軽い。
槍の又左の鎧
槍の又左の鎧(やりのまたざのよろい)は、数々の戦で槍を振るって武功を挙げ、ついには大大名にまで出世した戦国武将、前田利家(まえだとしいえ)所用と伝わる当世具足。
兜は、長烏帽子を模した鉢に前田家の梅鉢紋が描かれている。また、首回りを守る錣(しころ)の上には装飾として白いヤクの毛があしらわれ、傾奇者だった利家の粋を感じさせる。
胴は、古風な素懸威だが、小札に押された金箔や袈裟懸けにした鎖が、傾奇者だった利家の粋を感じさせる。
籠手は、細身の板金鋼を並べて革で覆った筒籠手。胴丸と同じ金箔押して見た目は派手だが実用性に優れている。
膝甲は、動きやすさにこだわった七間五段の草摺(くさずり)のみだが、巻き付けた朱色の羽織が腰回りを覆っている。
脛当は、金箔押しの板金鋼を並べて繋いだ脛当。見た目は派手だが動きやすく、実用性に優れている。
剣聖の衣
剣聖の衣(けんせいのころも)は、塚原卜伝が着用したとされる衣服。塚原卜伝は剣術流派・鹿島新当流の開祖。何十回もの真剣勝負に臨みながら刀傷を一度も受けなかったとされ、剣聖と謳われた。
上衣は、着古した筒袖と羽織。各所に見られる刀痕が、敵の刃を幾度も紙一重で避けてきた壮絶な戦歴を物語っている。
手甲は、革製で片腕のみに装着。防具としての性能よりも、剣の扱いやすさを優先している。
袴は、着古した伊賀袴。生地は薄手の木綿で、動きやすさを優先した作りとなっている。
履物は、袴の裾が邪魔にならないよう脚絆を巻き、足袋と草鞋を履く。卜伝が自ら編んだ草鞋は、目がよく詰まっていて歩きやすい。
金瓢箪の鎧
金瓢箪の鎧(きんびょうたんのよろい)は、藤吉郎が着用していた当世具足。瓢箪は古くより作物の種入れとして使われ、瓢箪の中に入れた種は必ず芽が出ると信じられていたため、成功や家運隆盛、子孫繁栄の象徴とみなされた。藤吉郎は瓢箪を収集していたといわれ、馬印としても用いている。
鉢金は、後ろに回した白い緒が鉢巻のように伸ばしてあり、武功をあげてのし上がろうとする藤吉郎の気概を感じさせる。
胴は、黒漆塗の鉄板を多数連ねて一つにした丸胴で、中央に金蒔絵で日輪が描かれている。この装飾は、日の出に自らの出世を重ね合わせる藤吉郎の思いの表れである。
籠手は、外側を覆う鎖帷子に大小の鉄板を縫い付けたもの。防御力と動きやすさを兼ね備えた作り。
膝甲は、左右に金の日輪が描かれた佩楯(はいだて)を吊るしている。この装飾は、日の出に自らの出世を重ね合わせる藤吉郎の思いの表れである。
脛当は、亀甲立挙(きっこうたてあげ)の付いた篠脛当。前面を覆う篠金物(しのがなもの)が短い分、防御力は落ちるが軽くて動きやすい。
川並衆具足
川並衆具足(かわなみしゅうぐそく)は、蜂須賀小六(はちすかころく)が着用した軽量の具足。川並衆とは木曽川流域に住まう妖怪たちが緩く連帯した一種の互助組織で、小六はこの川並衆の顔役であった。
面具は、黒塗りの鉢金のみ。一見、軽装に見えるが、守るべき急所は守られており、実用的な防具である
上衣は、首から肩を保護する鎖製の満智羅(まんちら)と、甲羅のような背面防具を背負う。背面防具には鉄製の鋭い大小の突起が複数あり、迂闊に接触した敵に傷を負わせる。
籠手は、二枚の半筒状の鉄板を蝶番で合わせ、革紐で固定するもの。軽量で腕に密着し、動きを阻害しない作りとなっている。
膝甲は、腰から吊るす草摺(くさずり)のみだが、厚地の袴に黒漆塗の鉄板が縫い付けられている。上衣と比較して守りが厚いのは、脚部を負傷すると得意の泳ぎに支障が出るためと思われる。
脛当は、三枚の半筒状の鉄板を蝶番で合わせ、革紐で固定した脛当。内部が水が溜まらない構造になっており、水中でも動きやすい。
玄冥陰陽装束
玄冥陰陽装束(げんめいおんみょうしょうぞく)は、晴明を名乗る陰陽師が着用している装束。玄冥とは北を守護する聖獣・玄武と起源を同じくする神で、冥界を通じ現世では知り得ぬ知識をもたらすという。
烏帽子は、薄い絹に黒漆を塗って仕立てられた立烏帽子(たてえぼし)。陰陽師の活動を補助するために、内部には呪符が貼り付けてある。
狩衣は、黒く染めた麻布で織られており、赤い単(ひとえ)の上から着用する。狩衣自体、妖怪の攻撃に耐性を持たせているが、首から八卦鏡(はっけきょう)を下げ、呪言が綴られた襷(たすき)を掛けることで、さらに防御力を高めている。
手甲は、絹と革を組み合わせて作られており、先端の輪に中指を通して、手首に赤紐を巻いて固定する。細身の陰陽師に似合う、優美な装いである。
袴は、紫に染めた絹で織られている。古代において紫は高貴な色と言われ、一部の人間しか身に付けることができなかった。また腰には狩衣の上から、紙垂(しで)を巻きつけ、右側には竜笛(りゅうてき)を下げる。これらは邪を討ち祓う効果がある。
履物は、桐に黒漆を塗って作った浅沓。烏帽子や狩衣と合わせて着用することが多い。足の甲が当たる部分には絹製の布を入れ、足を痛めないようにしてある。
鳶加藤の忍び衣
鳶加藤の忍び衣(とびかとうのしのびごろも)は、加藤段蔵が着用する忍び衣。鳶加藤は加藤段蔵の通り名である。跳躍の術に長けていたことに由来するとされるが、その名はむしろ稀代の幻術使いとして広く知られている。
覆面は、襟巻と同色の布で作られたロ覆い。忍者が着用するロ覆いには、土埃や煙を吸って咳き込んだり、冬季に吐息が白く立ち昇って気づかれてしまうことを予防する効果がある。
上衣は、鎖帷子の上から白を基調とした着物をまとい、さらに嶌の巨大な羽根をあしらった外套を羽織るもの。通り名にちなんだこの外套は、隠密行動にも優れており、段蔵は好んで身に付けていた。
籠手は、幅の広い革を腕に巻いて編み上げたもの。苦無(くない)などの小型の武器が扱いやすいよう、手先は露わになっている。左手に巻き付けた数珠は、幻術に使用する。
膝甲は、白い袴の内部に鎖を編み込んだもの。腰から下げている毛皮は、段蔵が過去に狩った妖怪から剥いだものと伝わるが、真偽は不明。
脛当は、黒革を巻脚絆で締めて固定したものに革足袋を履く。非常に動きやすく脱げる不安もない。
伊賀上忍装束
伊賀上忍装束(いがじょうにんしょうぞく)は、伊賀国の忍者衆に所属する上位の忍者が身に着ける装束。上忍は下位の忍者の指揮監督役を担い、自ら任務に当たる機会が少ないため、身軽さを身上とする下忍用の装束と比べてやや重装備が用いられた。
鉢金(はちがね)は、革製の鉢巻に鉄板を取り付けたもので、頭巾の上から額に装着することで、正面からの斬撃から頭部を保護する。鉄板は黒漆塗りで、暗闇で目立たないように配慮されている
胴は、黒い上衣の下に、鉄の小札(こざね)を黒糸で綴った胴鎧を着込む。鎖帷子(くさりかたびら)に比べてやや重みがあるが、斬撃のみならず銃撃に対しても一定の防御効果を期待できる。
籠手は、目の細かい鎖の上に細長い鉄板を何枚も縫い込んであり、上腕から手の甲までを保護する。やや重みはあるが、側面から斬撃を受けても刃を通さない。ただし、忍具を扱う都合上、指先はむき出しとなっている。
膝甲は、黒布の袴の下に、目の細かい鎖を重ねて着用する。袴は足さばきを妨げないよう、やや幅広の作り。
脛当は、鉄板と固い革を筒状に組み合わせて紐で縛ったもこの重みはあるが、侍の具足に匹敵する防御力がある。
土佐守の軽鎧
土佐守の軽鎧(とさのかみのけいよろい)は、四国を平定し、土佐(現在の高知県)の出来人(できびと)と称された長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が所有したという当世具足。
兜は、筋兜を変形させた突ぱい形兜(とっぱいなりかぶと)で、大振りな天衝と日輪の立物が黄金色に輝く。
胴は、伊予国(現在の愛媛県)の職人衆が考案した上質な小札を用いた、伊予札胴(いよざねどう)。少し古風な趣があり、軽量な割に防御力がある。
籠手は、手の甲側の防御に重点を置いた板状のもので動きを妨げにくい。胴と同じく伊予札(いよざね)を用いている。
膝甲は、厳選した素材で作られた伊予札(いよざね)によるもので、革と鉄を隙間なく組み合わせてある。
脛当は、帯状に組んだ伊予札(いよざね)。毛皮などと組み合わせ組み紐で絞ってあり、鉄板の形式に比べて動きやすい。
刑部の軽鎧
刑部の軽鎧(ぎょうぶのけいよろい)は、豊臣家の重臣で、石田三成の盟友として名高い大谷吉継所用の当世具足。吉継は刑部少輔に任じられ、大谷刑部と呼ばれた。賤ヶ岳の戦いや紀州攻めで活躍して秀吉の天下統一を助け、その信任を受けて九州、小田原奥州などの平定に出陣した。
白頭巾は、絹製。頭部を完全に覆って表情を隠せるが目の部分だけ開いており、視界を確保できる。背面には、大谷家の家紋「対い蝶(むかいちょう)」が描かれている。病を患っていた吉継が兜の代わりに愛用したとされる。
胴は、黒漆塗の桶側胴(おけがわどう)。展開すると二枚の板状になる二枚胴の構造で、要所の留め具などに金飾りを施してある。軽量化のため、袖鎧は小ぶりなものが採用されている。
籠手は、湾曲した板札(いたざね)を鱗状に組んだ構造で、指先には鋭い爪先のような特殊な意匠が施されている。また、鉄材は黒漆で塗られ、金色の縁取りがされている。
膝甲は、薄手に編んだ帷子を、袴と重ね着する。軽量で体に沿うため、非力でも動きを妨げにくい。厚手の帯などを組み合わせると、防御力を高められる。
脛当は、湾曲した板札(いたざね)を鱗状に組み合わせたもので、組み紐などで固定する。胴とは異なり、鉄地を活かした色合いだが、摩耗などによる破損を薄い塗料で防いでいる。
牛若の鎧
牛若の鎧(うしわかのよろい)は源平合戦において源氏の軍勢を率い勝利をもたらした英雄、源義経が着用したとされる鎧。牛若は義経の幼名であり、幼少から彼と親しかった者には元服後もその名で呼ぶことを許したという。
兜は、鋲を表面に露出した星兜(ほしかぶと)。前立ては英雄に相応しい長大な金の鍬形で、兜の左右に設けられた吹き返しには、精緻に細工された本彫金が入っている。美麗な逸品だが作りは堅牢であり、実戦的な防具であると言える。
胴は、赤糸で威された逸品。源氏らしい気品のある白の上衣の中に、各種の板を装着し、胸から腹までを保護している。矢を放つ際に射線をふさがないよう、大袖は右肩にのみ付ける。
籠手は、漆を塗った革の上に、蝶や菊の細工が彫られた金物を重ね、さらに赤い別の金物を留めて三重に守っている。源平合戦の頃、多くの将は弓を引くのに便利なよう、左腕のみに付ける片籠手を使っていた。後世て主流となる、両腕に付ける諸籠手(もろごて)を選んでいる点に、義経の先見性がうかがえる。
膝甲は、腰から下げた草摺(くさずり)のみ。また通常は四間ある草摺を左右の二間に絞ることで、重量を減らして身軽さを保っている。草摺を構成する小札は、袴と色を合わせて赤漆で塗られており、洒落た装いである。
脛当は、蝶番の付いた半筒上の鉄板を身体に合わせ、赤い紐で固定している。足先には足袋を履き、さらに毛皮製の貫(つらぬき)を着用する。これは大鎧の正装であり、義経の源氏武者としての誇りがうかがえる。
袖神の鎧
袖神の鎧(そでがみのよろい)は源平合戦で活躍した弓の名手、那須与一が着用したとされる鎧。平家方から弓試して挑発された際に指名された与ーは、片袖を破って必中の願掛けを行い、見事に的を射抜いた。破った袖は奉納され、のちに神体として崇められるようになったという。
烏帽子は、金糸で扇を模した文様を入れた立烏帽子(たてえぼし)。縁の部分に、白い布を鉢巻のように巻いて固定する。兜を付けないのは、弓射の際に視界が狭まるのを与一が嫌ったためである。
胴は、上衣の内側に着込んだ、革製の簡易的な腹巻。動きやすさを優先した、急所のみを守るための防具である。
籠手は、丈夫な革製のもの。さらに、右腕は手首から肘まで、左腕は手の甲から肩までを、腕の外側に大小の鉄板を取り付けて守っている。源平合戦の頃は弓矢での戦いが中心だったため、弓を引く右腕はこのように軽装に留めるのが一般的だった。
膝甲は、右の草摺(くさずり)を、腰に巻いた荒縄で下げている。橙色に塗った小札を赤糸で威したこの草摺は、那須家に伝わってきた由緒ある品であり、与一の才を見込んだ父が兄らを差し置いて彼に持たせた。腰の左側には、予備の弦を掛けておく弦巻(つるまき)を下げている。
脛当は、蝶番の付いた半筒上の黒い鉄板を、紅白の紐で留め、脛から足首までを守っている。足に履いた荒々しい毛並みの貫(つらぬき)は、与一自身が狩った獣の革で作られた品である。
武家貴族装束
武家貴族装束(ぶけきぞくしょうぞく)は平安時代中期の貴族、藤原保昌が着用したとされる衣服。保昌は後世において坂上田村麻呂や源頼光と並び称されたほど武勇に秀でた人物で、浮世絵の題材にもなった。
冠は、武官特有の巻纓冠(けんえいかん)。後頭部の櫻(えい)という細長い布が巻かれていること、紐に老懸(おいかけ)という扇状の飾りがあることが特徴。赤い紐を、巾子(こじ)という髷を収める部分の根元に巻きつけて垂らし、紐の先端を顎の位置で結んで固定する。
上衣は、えんじ色の生地に黄土色で植物の文様を入れた袍(ほう)。その下には、濃緑の布に流水紋を入れた単(ひとえ)を着用する。腰から下がる薄緑の平緒(ひらお)には花の装飾が入る。歌人でもあった保昌の、雅な趣味がうかがえる。
籠手は、厚手の布に革を縫い付けた上等な品。腰の平緒(ひらお)と色を揃えた薄緑の紐で留める。保昌は、武具を目にするのを嫌がる公家とも付き合いがあったため、普段は籠手を単(ひとえ)の袖の中に隠していた。
袴は、上質な白絹で織られた表袴(うえのはかま)。肌触りも良く動きやすい。
履物は、えんじ色の脚絆を巻き、黒の毛皮でできた貫(つらぬき)を履く。宮中にふさわしくない無骨な履物だが、保昌は動きやすさを優先し、これを着用して出仕していた。
隼流戦装束
隼流戦装束(はやぶさりゅういくさしょうぞく)は、霊峰富士の周辺を拠点とする隼流忍者が着用したという戦闘用の装束。隼流はほかの流派とは一線を画する孤高の忍者集団。実態は闇に包まれており、隼流の奥義に接することのできた者はごくわずかであるとされる。主君を持たず、また利にも動かされず、ただ一筋に世を乱す邪なるものを討つため活動するという。
鉢金は、半球状に加工した板金で前頭部を保護する。黒漆塗の鉢金本体の上にあしらわれた装飾には、霊獣やあやかしの素材が使われしており、敵を威圧すると同時に鉢金の強度をも高めている。
上衣は、黒漆塗りの小札を威した腹巻。鎖を金糸で繋いで作った独特な形状の袖と組み合わせ、急所の首周りから腹にかけてを重点的に守る。腕を主体とする技の動きを妨げないよう、肩には防具を付けない。
籠手は、肘より下の部位のみ覆う半籠手。生地に、黒漆を塗った大小の鉄板を縫い付けたものを、紐で固定する。鉄板には霊獣やあやかしの素材のほか、隼流の一族にちなむ龍の金細工が取り付けてある。
袴は、厚地の伊賀袴。霊獣やあやかしの毛を織り込み、強度を高めている。また腰から下げた、黒漆塗りの佩楯(はいだて)で、大腿部を二重に保護する。佩楯には最大で6本の苦無(くない)を収められる。
脛当は通常より短い、足の甲から脛の半分ほどまでを覆う筒脛当。半筒状の黒地の鉄板を蝶番で合わせ、革紐で固定する。また別途、膝の皿を保護する特殊な小具足を付ける。急所を守りつつ、軽快な動作を可能としている。
土蜘蛛衆装束
土蜘蛛衆装束(つちぐもしゅうしょうぞく)は、土蜘蛛衆と呼ばれるまつろわぬ民の一族が着用する装束。彼らは朝廷の軍により先祖代々の土地を追われ、深い恨みを抱いたまま深山幽谷に隠れ住んでいるという。
面具は、妖怪の皮をなめして作った厚地の頭中で目以外を覆う。さらに前頭部には鉢金を被る。鉢金の表面には妖怪の牙や爪が埋め込んであり、敵を畏怖させる。
上衣は、野草を煮詰めた汁で染めたもの。内側には鎖が編み込まれており、見た目以上に頑丈。その上から、袖と腹巻を繋いで一体化させた特殊な防具を着用する。また腹回りは、一族の中で妖力の強い者に吐いてもらった糸を何重にも巻いている。これにより、打撃を受けても衝撃が分散し、致命傷となりにくい。
籠手は手先を覆う革製の部分と、手の甲から肘までを覆う金物を、紐で合わせる。金物は、一族の中で妖力の強い者に吐いてもらった糸でぐるぐる巻きにする。これは土蜘蛛衆に伝わる験担ぎであり、装着者の戦意を高める。
袴は、蜘蛛の巣状の模様を染め抜いた伊賀袴。腰から下げた佩楯(はいだて)や、腰の中央の装飾品、腰の左にぶら下げた玉は、全て妖怪の素材から作られた品であり、装着者を守護してくれる。
脛当は、蝶番の付いた半筒上の鉄板を合わせて、足の甲から脛の中央までを保護している。見た目以上に重いが、深山幽谷に住む蜘蛛衆は健脚であり、支障はない。
弘法大師の僧衣
弘法大師の僧衣(こうぼうだいしのそうい)は、唐の国で仏教を学び、日本に帰って真言宗を開いた空海が着用したとされる僧衣。空海は後世においては贈り名である弘法大師の名で広く知られ、日本各地に彼に由来するとされる事物や池、温泉などの伝説が多数残されている。
笠は、丸みを帯びた網代笠(あじろがさ)。竹ひごを編んで作られており、通気性を保ちながら雨や日差しなどから身を守れる。笠の裏側には、空海が力を込めて書いた梵字があり、身に着けた者に加護をもたらす。
袈裟は、空海が唐で師事した恵果(けいか)和尚から授けられた「けん陀穀糸袈裟(けんだこくしけさ)」。さまざまな色の糸を織り合わせ、袈裟本来の色である黄土色に見えるよう調整されている。唐の密教の力が宿っており、着用した者の身を守ってくれる。
腕貫(うでぬき)は、厚手の白布を筒状にしたもの。手の甲から肘にかけてを、それなりに保護する。また、上衣の袖が汗で汚れるのを防ぐ。
袴は動きやすいよう裾を括った括袴(くくりばかま)。質素な布を染め直して仕立てられたもの。
脚絆は、質素な布を繋ぎ合わせて染め直したもの。空海はこの脚絆を身に着けて、各地を行脚したと伝わる。伝承に違わず、非常に歩きやすい。
上古の衣(男性)
上古の衣(じょうこのころも)は、上古の英雄が着用した衣服を模して作られたとされる衣。根拠は不明だが、その上古の英雄はヤマトタケルと考えられている。ヤマトタケルは熊襲征伐や東征で活躍したが、伊吹山の神に挑んで敗れ、病を得て亡くなったという。
冠は、金に美麗な細工を施して作られた宝冠。日輪を模した装飾と、その中央に収められた緑色の翡翠が特徴。上古の英雄の没後は、その墓に副葬されたと伝わる。
上衣は、質の良い白布で仕立てられた衣(きーぬ)。襟と袖口には赤い布をあて、着心地を良くしている。肘の部分も赤い紐で結わえているため動きやすい。首に下げた頸珠(くびたま)は、身分の高さを示す。
腕貫(うでぬき)は、上古の英雄本人が狩った獣の皮をなめして作られたもの。軽く、丈夫で体になじみ、腕の動きを妨げない。
下衣は、上質な白布で仕立てられた袴。歩きやすいよう、膝の下を赤い足結(あゆい)の緒で結んでいる。
履物は、上古の英雄本人が狩った獣の皮をな止めして作られた皮履(かわぐつ)。白い紐で足首を縛って留める。丈夫で歩きやすい。
上古の衣(女性)
上古の衣(じょうこのころも)は、上古の英雄が着用した衣服を模して作られたとされる衣。根拠は不明だが、その上古の英雄は卑弥呼と考えられている。卑弥呼は邪馬台国と呼ばれる国を治めた女王で、ト(ぼく)により吉凶を占って民を導いたという。
冠は、日輪を模した金の宝冠。放射状に広がる装飾が特徴。太陽信仰を司っていたとされる卑弥呼らしい冠である。日輪の中央にも美麗な細工が施され、見る者を神々しさで圧倒する。
上衣は、質の良い白布で仕立てられた衣(きぬ)。袖口には、赤い二本線の飾りが入っている。さらに上から、濃い紫や赤の糸で精細な刺繍を施した別の衣を羽織る。首には貴人らしく、翡翠を連ねた頸珠(くびたま)を掛けている。
腕貫(うでぬき)は、くすんだ紫に染めた布を手首に巻き、白い紐で留める。古代では、紫の染料は非常に希少であり、貴人しか身に着けられなかった。
袴は、上質な白布で仕立てられたもの。歩きやすいよう、膝の下を赤い足結(あゆい)の緒で結んでいる。また、裾は赤い染料で縁取ってある。
履物は、臣下から上古の英雄へ献上された獣この皮をなめして作った皮履(かわぐつ)。白い紐で足首を縛って留める。丈夫で歩きやすい。
はぐれソハヤ装束
はぐれソハヤ装束(はぐれそはやしょうぞく)は、妖怪を狩る特殊な集団であるソハヤ衆から抜けたはぐれ者が身にまとった装束。このはぐれ者は、特定の妖怪に強い愛着を抱いたことがきっかけで妖怪を狩れなくなったという。
付け耳は、その妖怪の耳を模した髪飾り。愛着の対象である妖怪との一体感が、装着者の闘志を高める。
上衣は、心残りを晴らして成仏した妖怪の毛皮を複数つなぎ合わせたもの。胸の鈴の音色には、妖怪から受ける攻撃の威力を弱める効果があるという。
籠手は、心残りを晴らして成仏した妖怪の毛皮が使われており、軽量かつ強靭。
袴は、厚地の伊賀袴に心残りを晴らして成仏した妖怪の毛皮をあわせたもので、耐久性や伸縮性に優れている。
脛当は、心残りを晴らして成仏した妖怪の毛皮を脚絆に巻きつけたもの。長い距離を歩いても疲れにくいよう工夫されている。























































































