武器_近接_大太刀

Last-modified: Thu, 17 Aug 2023 05:45:04 JST (1034d)
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大木太刀

大木太刀 大木太刀(納刀)

大木太刀(おおきだち)は、剣術の稽古に用いる木製の大太刀。激しく打ち合っても折れないように硬いカシ材で作られており、当たり所が悪いと稽古でも死傷者が出ることもある。

大和伝大太刀

大和伝大太刀 大和伝大太刀(納刀)

大和伝大太刀(やまとでんおおだち)は、大和国の刀工が鍛えた大太刀。反りが浅いため斬撃だけでなく刺突にも適しており、重量があるため一撃の威力が大きい。

備前伝大太刀

備前伝大太刀 備前伝大太刀(納刀)

備前伝大太刀(びぜんでんおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)の長船(おさふね)派が鍛えた大太刀。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。

山城伝大太刀

山城伝大太刀 山城伝大太刀(納刀)

山城伝大太刀(やましろでんおおだち)は、山城国(現在の京都府)の刀工が鍛えた大太刀。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。

一本だたらの大太刀

一本だたらの大太刀 一本だたらの大太刀(納刀)

一本だたらの大太刀(いっぽんだたらのおおだち)は、妖怪の一本だたらが携える無骨な大太刀。元は優れた鍛冶師であった一本だたらが自ら打ち出した逸品で、見た目に似合わず恐ろしい切れ味を発揮する。付着した血を放置するなど乱雑な扱いをしても切れ味が落ちにくいという。名刀への執念と一本だたらの妖力が込められており、あたかも刀自身が血を求めるかのように持ち主を戦場に駆り立てる。

来派大太刀

来派大太刀 来派大太刀(納刀)

来派大太刀(らいはおおだち)は、山城国(現在の京都府)の来派が鍛えた大太刀。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。

紅蜘蛛

紅蜘蛛 紅蜘蛛(納刀)

紅蜘蛛(べにぐも)は、巨大な蜘蛛の妖怪を討ったという大太刀。蜘蛛の妖怪を斬り伏せたためか、刀身は赤黒く染まり、柄には蜘蛛の糸が絡みついている。言い伝えでは、中国地方の山に棲み着いた蜘蛛の妖怪をある男が討伐に向かったが、数日後、男は妖怪と相討ちの形で死んでいるのが発見されたという。死体のそばに残されていた大太刀は、祟りを恐れた人々により神社に祀られたが、何者かに盗まれて失われたと伝わる。

古備前大太刀

古備前大太刀 古備前大太刀(納刀)

古備前大太刀(こびぜんおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の刀工が鍛えた大太刀。備前の刀工のうち、平安時代に活躍した友成(ともなり)、正恒(まさつね)、包平(かねひら)ら名工の手になる刀は古備前物と呼ばれて高く評価され、贈答の品としても珍重された。

祐定大太刀

祐定大太刀 祐定大太刀(納刀)

祐定大太刀(すけさだおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、祐定が鍛えた大太刀。製造を急いだためか一部の工程が簡略化されており、品質にばらつきがある。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。

高平大太刀

高平大太刀 高平大太刀(納刀)

高平大太刀(たかひらおおだち)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の刀工、高平が鍛えた大太刀。高平は、助平(すけひら)、包平(かねひら)ともに「備前三平(びぜんさんひら)」と呼ばれる名工で、蛇切丸(じゃきりまる)、秩父がかう平(ちちぶがかうひら)など数々の名刀を生み出した。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。

来国行大太刀

来国行大太刀 来国行大太刀(納刀)

来国行大太刀(らいくにゆきおおだち)は、山城国(現在の京都府)来派の祖である名工、国行が鍛えた大太刀。来派の後継には国俊(くにとし)、国次(くにつぐ)などがいる。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。

蛇切丸

蛇切丸 蛇切丸(納刀)

蛇切丸(じゃきりまる)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の名工、高平(たかひら)が鍛えた大太刀。平家打倒に協力し、坂東武者(ばんどうむしゃ)の鑑と評された畠山重忠(はたけやましげただ)はこの大太刀を用い、富士川の戦いで加地次家(かじつぐいえ)の兜を切り割ったという。重忠は高平の太刀を好み、七つ燭台(ななつしょくだい)、長竜(ちょうりゅう)などの名刀を所蔵していた。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。

血染めの大包丁

血染めの大包丁 血染めの大包丁(納刀)

血染めの大包丁(ちぞめのおおぼうちょう)は、なまはげが好んで使う大型の刀。刃の長さは大太刀とほぼ等しい。普通の刃物とは異なり、切断よりも相手に打撃を与えることを重視している。鋭利な突起や返しが複数付けられ、犠牲者の血が洗っても落ちぬほど染みついている。

君万歳友成

君万歳友成 君万歳友成(納刀)

君万歳友成(きみばんざいともなり)は、備前国(現在の岡山県南東部)古備前派の名工、友成が鍛えた大太刀。平教盛(たいらののりもり)の佩刀とされる。教盛は、一ノ谷(いちのたに)の戦いで惨敗した平家を立て直し、壇ノ浦(だんのうら)で起死回生を図ったが敗れこの刀と共に海に沈んだという。反りが浅く突きと斬りに併用でき、重量があるため一撃の威力も大きい。

太郎太刀

太郎太刀 太郎太刀(納刀)

太郎太刀(たろうたち)は、朝倉家に仕えた剛力の将、真柄直隆(まがらなおたか)が愛用したとされる大太刀。次郎太刀の姉妹剣。備中国(現在の岡山県西部)の青江(あおえ)派に属する名工の作で、長さが七尺三寸(約220センチ)を超える業物。直隆は朝倉義景(よしかげ)に従って姉川(滋賀県北東部)の戦いに参陣、この大太刀を振るって織田、徳川連合軍を苦戦させた。崩れ始めた友軍を逃がすために徳川本陣へ向けて単騎で突撃をかけるも、備えを八段まで突破したところで力尽き、首級を奪われたとされる。

次郎太刀

次郎太刀 次郎太刀(納刀)

次郎太刀(じろうたち)は、朝倉家の猛将である真柄直隆(まがらなおたか)の子、隆基(たかもと)が愛用したとされる大太刀。姉妹剣の太郎太刀と併せて真柄太刀とも総称される。越前国(現在の福井県)の名刀工、千代鶴国安(ちよづるくにやす)の作で、五尺五寸(約167センチ)の長さを誇る。隆基は直隆同様、豪勇をもって知られ、足利義昭(あしかがよしあき)の御前でも剣技を披露したという。父と共に姉川(滋賀県北東部)の戦いで活躍したが、父の決死の奮戦を見届けようと戦場に引き返した際に討たれた。

宇佐美長光

宇佐美長光 宇佐美長光(納刀)

宇佐美長光(うさみながみつ)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、長光が鍛えた大太刀。室町幕府八代将軍、足利義政(よしまさ)から宇佐美政豊(うさみまさとよ)に褒賞として与えられ、刃を受け止めた敵の槍兵の首を槍ごと両断するなど、様々な戦いで鋭い切れ味を発揮した逸話が残る。以降、越後守護の上杉家に仕えた重臣、宇佐美定満(さだみつ)の所有となっていたが、当主の上杉定実(さだざね)に献上され、さらに定実の養子となった伊達実元(だてさねもと)から、その子、成実の佩刀となった。

神威

神威 神威(納刀)

神威(かむい)は、蝦夷(現在の北海道)のアイヌの影響を受けた大太刀。アイヌの風習に合うような装飾を加えて輸出された蝦夷拵(えぞこしらえ)とは異なり、狩猟用に発展したアイヌ刀と日本刀の意匠を折衷して作られたものという。カムイとはアイヌ語で神を意味する。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。

両面宿儺の剣

両面宿儺の剣 両面宿儺の剣(納刀)

両面宿儺の剣(りょうめんすくなのつるぎ)は、日本神話に登場する異形の化け物、両面宿儺が使用したという大振りの剣。二つの大きな顔と計八本の手足を持った両面宿儺は、仁徳(にんとく)天皇の治世に飛騨国(現在の岐阜県北部)に出現したとされる。四本の腕に持った複数の武器を振るって暴虐を極め、民から収奪を行ったため、剛の者として名高い武振態(たけふるくま)という人物に討伐された。各所の寺社に両面宿儺の姿を模した像が残されているが、見慣れぬ異国風の甲冑で身を固め、剣・斧・弓を装備しているものが多い。

面影

面影 面影(納刀)

面影(おもかげ)は、山城国(現在の京都府)来派の名工、国行(くにゆき)が鍛えた大太刀。名の由来は刀身に顔がはっきり映ることからという。国行は長期間をかけて二振り作って面影と鉋丸(かんなまる)と名付け、鉋丸を北条高時(ほうじょうたかとき)に、面影はその家臣に譲ったという。のち古河公方(こがくぼう)の足利家を経て池田輝政(いけだてるまさ)の手に渡っている。刃渡りが長く反りも強いため、斬る、払うに向き、重量があるため一撃の威力も大きい。

微塵丸

微塵丸 微塵丸(納刀)

微塵丸(みじんまる)は、源義仲(みなもとのよしなか)の所有したという大太刀。「竜王作の長刀」「雲落とし」と併せて、源義仲三代相伝の三宝とされる。なんでも微塵に砕き、通らぬものはないことからこの名がある。義仲が源頼朝(よりとも)と和議を結ぶ際、箱根権現(はこねごんげん)にこの刀を奉納し、のち曾我(そが)兄弟が父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を討ちに行く前に箱根権現から譲り受けたという。仇討ちの終了後は、頼朝によって箱根権現に再び奉納されている。

石州和貞

石州和貞 石州和貞(納刀)

石州和貞(せきしゅうかずさだ)は、石見国(現在の島根県西部)の刀工、和貞の手による大太刀。石州は石見国の略称であり、古くからたたらと呼ばれる製鉄の盛んな地で、多くの鍛冶職人や鋳物師が居を構えた。石州和貞は五尺六寸(約170cm)に及ぶ長大な刃長を誇り、山陰の麒麟児の異名で知られた山中鹿之助(やまなかしかのすけ)が、初陣以来、佩刀としたとされる。のち鹿介自身の手で、山海や戦の神として信仰を集める伊予大三島(愛媛県今治市)の大山祇(おおやまづみ)神社に奉納されたという。

蛍丸

蛍丸 蛍丸(納刀)

蛍丸(ほたるまる)は、山城国(現在の京都府)来派の名工、国俊(くにとし)が鍛えた大太刀。肥後国(熊本県)の武将、阿蘇惟澄(あそこれずみ)の佩刀。惟澄は多々良浜(たたらはま)で足利尊氏(あしかがたかうじ)と戦い、敗色濃厚にもかかわらず奮闘するが、刀に無数の刃こぼれが生じ、撤退を余儀なくされる。居館にたどり着き、壁に刀を立てかけて睡眠を取ったところ、蛍が刀の周りに集まってくる夢を見た。目覚めて刀を見ると、刃こぼれが全て直っていたという。のち阿蘇家が宮司を務める阿蘇神社の宝刀として祀られた。

大兼光

大兼光 大兼光(納刀)

大兼光(おおかねみつ)は、斎藤利三が所持していた大太刀。備前国長船派に属する名工、兼光の作。この兼光は「延文兼光」と呼ばれた二代目で、数々の名刀を鍛えたことで名高い。この大太刀はのちに銘が完全に消えてしまうほど磨上げられたが、それでもなお刀としては長大で大兼光の名に恥じなかったという。

布都御魂

布都御魂 布都御魂(納刀)

布都御魂(ふつのみたま)は、雷神であるタケミカヅチが、現在の中国地方に当たる葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した際に使用したという大太刀。日本神話によると、神々は東征がうまく進まないことを憂い、実績のあるタケミカヅチを遣わそうとしたが、タケミカヅチは自ら向かわず、高倉下(たかくらじ)という者に夢を通してこの大太刀を授け、窮地に立つ東征軍を勝利に導いたという。以降、大和国(現在の奈良県)にある石上神宮(いそのかみじんぐう)の御神体として祀られている。

物干し竿

物干し竿 物干し竿(納刀)

物干し竿(ものほしざお)は、備前国(現在の岡山県南東部)長船(おさふね)派の名工、長光(ながみつ)が鍛えた大太刀。巌流(がんりゅう)という一派の剣豪で、その流派名を自らの通称とした佐々木小次郎(ささきこじろう)が愛用していたという。刀身を短く擦上げた打刀が主流となっていた時代に、三尺(約90センチ)ほどある大太刀を使い、長いだけで実戦で役に立たないとして「物干し竿」と例えられた。しかし、このような侮蔑的な通称に反して、実際に小次郎と立ち会った者は彼の恐るべき剣技を思い知ることとなった。

百鬼の大太刀

百鬼の大太刀 百鬼の大太刀(納刀)

百鬼の大太刀(ひゃっきのおおだち)は、鬼の意匠が施された大太刀。銘が刻まれていないため誰の作かは不明だが、鬼気迫る出来映えで見る者の目を奪う。鬼を冠する多くの言葉が示すとおり、日本において鬼とは強さの象徴である。この大太刀は、力や技といった理を超えた鬼の強さにあやかろうとしたものであろう。

祢々切丸

祢々切丸 祢々切丸(納刀)

祢々切丸(ねねきりまる)は、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の御神刀である破邪の大太刀。その昔、日光の山中に祢々という妖怪が棲みつき、人々に害をなしたという。困った人々が二荒山神社に祈ると、この大太刀がひとりでに宙を飛び、妖怪をさんざんに追い回した末に討ち取ったとされる。祢々の正体は河童であるという説や、虫の妖怪であるという説などがある。

石切丸

石切丸 石切丸(納刀)

石切丸(いしきりまる)は、碓井貞光が愛用したとされる大太刀。同名の刀が複数存在しており来歴ははっきりしない。酒呑童子討伐を描いた絵巻によれば、貞光はこの大太刀を携えて討伐に臨んだという。

黒漆大刀

黒漆大刀 黒漆大刀(納刀)

黒漆大刀(くろうるしのたち)は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷征討で用いたとされる大刀。征夷大将軍への任命の証として刀剣が下賜されたと記録にあり、それがこの大刀であるとする説もある。田村麻呂は鞍馬寺で戦勝祈願を行ったのち征討に赴き、見事に勝利。都に凱旋したのち、同寺に大刀を奉納したという。名前のとおり黒漆を塗った鞘と柄が特徴的で、後世にこの拵えを踏襲した刀が複数作られている。