問題点 のバックアップ(No.9)
- バックアップ一覧
- ソース を表示
- 問題点 は削除されています。
- 1 (2024-05-17 (金) 21:36:46)
- 2 (2024-05-18 (土) 00:02:23)
- 3 (2024-05-19 (日) 10:00:35)
- 4 (2024-05-19 (日) 12:48:36)
- 5 (2024-05-19 (日) 14:11:38)
- 6 (2024-05-19 (日) 17:47:48)
- 7 (2024-05-19 (日) 18:49:31)
- 8 (2024-05-20 (月) 17:38:52)
- 9 (2024-05-20 (月) 23:59:06)
- 10 (2024-05-21 (火) 17:34:57)
- 11 (2024-05-22 (水) 17:09:37)
※ 問題点に対する私見です。
閲覧者の意見と違う可能性があります。不快に思われましたら申し訳ございません。
発端は「公開アカウントで実在の人間を題材にした同人誌の画像を掲載した」こと
・界隈の人間には「実在の人間を題材にした二次創作(※ファンアートとは違う)は非公開アカウントでする」という認識がある
→参加者の中には「nmmn」という言葉を知らない人もいた
・題材が画像を見て不快に思う可能性を考慮すべき
・ネット上のファンアートと同人誌を一緒に考えるのはどうか?
・話題のポストには題材の名前はない(画像にはある)が、その後題材の名前を入れておすすめポイントとともにポストを投稿した
→その同人誌の題材を宣伝してしまった
身内だけの本であるにも関わらず、公開アカウントで画像を投稿した
・話題になったポストの内容だけでは、身内だけの本だと認識できない
・話題のポストを引用しつつ、ほぼ全員の参加者がアンソロジーへの参加を報告した
→身内で楽しむ本、非売品などの文章が同ポストになければ、同人誌を宣伝しているようにも見える
・裏表紙の画像でバーコード、値段のようなものが確認できる
→もちろんそういう装丁なのだが、誤認の元にはなる
・wiki作成者の私見だが、第三者の存在は常に想定しておくべきだと思う。問題が起きたとき悪いのは間違いなく第三者だが、被害を受けるのは主催者・参加者である
・公開アカウントで「私のアカウントは友人、フォロワーしか見ない」と考えるのはまずい。投稿したポストは全世界の人間が閲覧できる
・画像だけで題材を認識できる人間もいる
・第三者からの引用リポストにグループ名、グループを指す顔文字を記載されることがある
・第三者、本人のおすすめ欄に表示される可能性がある
題材が特定の思想を掲げて活動していると誤認させる一文が画像で確認できる
・参加者の一人は「掲載したのは表紙だけだから問題ない」と発言しているが、「反差別(グループ名)アンソロジー」という一文で、界隈外の人間が見たときその思想を公言して活動しているのだと誤認する事態が発生した
→Xで検索すると何名か確認できる
・本人たちは自分たちの思想を公言していない。本人たちの「公言しない自由」を無視してしまっている
→公言していない=差別者ではない。差別に反対するのは口にするまでもない常識であると考えている人もいる
・「反差別の思想を持つ人間が作成した」同人誌であると表紙下部に記載されているが、画像では文字が小さく、わざわざ拡大しないと読めない
→別のポストでも訂正しているが、話題のポストに比べると閲覧数が少ない
→「一番最初に目に入ってきたときの情報で判断する」人は多い
一部の参加者が本の内容を記載してしまった
・同人誌本文の画像はぼかした1ページのみで、参加者の一人によると「普段の配信の好きなシーンを書いた」とのこと
・しかし、別の参加者が「もっと政治色の強いものを書けばよかった」「バチバチのフェミニズムを書きました」と発言しており、題材グループに執筆者の思想を代弁させていると推察できる。この情報が間違っていると確実に証明するには執筆内容をネット上に掲載するしかないが、身内だけで楽しむ本なので不可能である
→自分の考えを表現すること自体は素晴らしいので、一次創作なら問題なかった(すでに行っている参加者がいる)
主催者・参加者も注意すべきだったが、あまりにも話題を大きくしすぎた第三者も悪い
・後日追記。どうもユーザー同士で問題視されている部分に齟齬があり、それが解消できていない
→「公開アカウントで実在の人物の同人誌の表紙を掲載した」ことを問題視している人と、「反差別という思想が批判されている」と感じた人とで話が噛み合っていない
→たいていの人はブロック・ミュートにするので、相互理解する機会がない
・「もっと政治色の強いものを書けばよかった」「バチバチのフェミニズムを書きました」というポストはすでに非公開か削除されている。それを知っている人と知らない人の間でも問題に対する認識の違いがある
・話題を大きくした第三者が悪いというのも確かだが、それで主催者・参加者に非がなかったということにはならない。もちろん過激すぎる批判も悪い