フィールドから採ってきた雑穀でパンみたいなものは作れるだろうし、豆も採れるだろう

Sat, 26 Jul 2025 11:20:38 JST (15d)
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藤岡要さんが異文化の設計をする時に出てきた発想

 

――禁足地に住む人々の異文化感もよく表現されていると感じました。苦労された点や,見てほしい点などありますか。
 
藤岡氏:
 今回は当初から「人も生態系の一部として描きたい」というコンセプトがありました。禁足地にはハンターがいないので,環境が変化するなかでモンスターと人がどう対応しているかをかなり細かく設定しました。
 
 それは異文化を描くことであり,挨拶や座り方といった基本的な部分を考えるところからのスタートでした。食生活ひとつをとっても「農耕できない環境で何を食べているんだろうか?」「フィールドから採ってきた雑穀でパンみたいなものは作れるだろうし,豆も採れるだろう」「家畜は飼えるんじゃないか?」「それなら乳でチーズも作ってるんじゃないだろうか」……といった風に設計にかなりの時間を使いました。
 
 ハンターが乗るセクレトにしても,しっかりとした設定が必要でしたし,ゲームとしてやりたいことが出てきたら出てきただけ設定を考えないといけない。苦労はしましたが,その甲斐あって,異文化にハンターたちが入って交流していくさまがきちんと表現できたように思います。

 

農耕をナメてるとしか思えない
一応古代オリエント博物館によると、テル・ルメイラ遺跡(中東シリアのどこか)周辺には雨季の間に自生した麦を採取する生活が現代まで続いているらしい。
さすがに自主栽培もしてるけど
人間が栽培する前(原種)はいずれも実が小さい・収穫量が少ない・味が悪いなど質が低く我々が普段目にする食用に適した植物は自然界にほとんどない。
通常の人類史であれば採取狩猟生活(数百万年)を経て農耕→畜産となるのだが…狩猟と農耕をすっ飛ばして採取→畜産は何を想定したリアリティなんだろうか。

 

踏み込んだ話

+  長くなるので折り畳み

採取狩猟生活では前述の通りの質の悪い収穫物を探して回る質素な生活になるため、
狭い範囲で食欲を満たせるだけの食品が得られず、必然的に広範囲を移動しながら収穫物を集めた生活となる。
農耕生活では狭い範囲で十分な収穫が可能となるため、人々は農耕のお蔭で定住生活が可能になったと言える。
畜産の場合、人間ではそのまま利用ができないもの(木の葉とか)を、家畜を通すことで、肉や乳、毛皮として人間が利用する為に始まったもので、
農耕が何らかの事情でできない場合は農耕を経ずとも畜産への移行はしうる(例:モンゴルや中東の遊牧民)
しかしこれらは自然界の収穫物に依存しているため、採取狩猟生活と同様に狭い範囲では家畜を養えず、移動しながらの生活となる。
クナファ村は砂漠にあるあたり、おそらく中東の遊牧民っぽい世界観を出したかったんじゃなかろうか。
先駆け衆の長杖が杖なのは、羊飼いの杖がモデルだろう。なんかひっかける鉤っぽいのついてるしね。
 
中東と聞くと、荒廃した砂漠や荒地のイメージを思い浮かべるが、
実際には雨季と乾季はあるが肥沃で農耕に適した土地と、ずっと乾燥している砂漠で分かれている。
砂漠の遊牧民(ベドウィン)は、砂漠地帯では農耕ができないから家畜に頼っているのであり、
農地の遊牧民(羊飼い)は、山岳地帯では雨季と乾季が逆転する現象を利用して、青い草を追って季節ごとに平地と山を移動して生活をしている。
つまり、同じ地域に住んでいても遊牧民と農民は異なる文化を持ち、遊牧民は作物を得られず、農民は肉を得られない。
そのため、遊牧民はその移動性を使って各地の農民と物々交換を持ち掛け、足りないものを補う生活をしてきた。
 
しかし、ワイルズ内での説明や描写を見るにこれら現実の遊牧民の生活様式は全く反映されていない

  • まず第一にクナファ村は移動生活をしていない。
    てかクナファ村は作物が十分にとれる土地である。
    何もない砂漠に見えるが、そのように説明されてるのでそういうことらしい。
    そうであるのならば、農耕地として相応しい場所のはずだ。なぜ採取生活をしているのかさっぱり理解ができない。
     
  • 次に、隔ての砂原が現実の中東の環境に全く則していない。
    人類史において非常に早い段階で、中東近辺で作物の栽培が始まったのは、当時野生の種がそこにいたからだが、
    そのような土地は一度雨が降ってから乾期が訪れるまでの4~5ヵ月程度の間、全てが草原になる。
    つまり、作物が自生していた土地というのはいつでも砂漠というわけではない。
    ワイルズでは折角季節性を導入したにも関わらず全くそのようなことは起こらず、
    隔ての砂原もクナファ村もいつ見ても殺風景のまま。いつ作物が育つんだよ??
     
  • また、クナファ村の周囲ではとても遊牧ができそうもない。
    村の外は危険なモンスターまみれ。
    現実の遊牧民は、狼に襲われた時に投石器を持って応戦した。(ダビデの投石器が有名だね)
    なのにクナファ村の民は武器の概念がない。鳴子に頼っているだけ。
    ゲーム内で一切表現されなかっただけで、本当に豊穣期には作物がとれる土地なんだと仮定しても、
    それ以外の季節をどのように家畜を養っているのかが全く想像できない。
    見た目が砂漠なだけで、いつどの季節でも人も家畜も養える作物が育ち続ける地上の楽園ということになってしまう。
     
  • とってつけたような交易文化
    現実の遊牧民は、移動生活の中で出会った定住者と、手に入らないものを得る為に交換していた。
    クナファ村はそもそも移動生活してないし、作物が手に入るので、遊牧民の交易とはまるで事情が異なる。
    なんとなくそういう感じの雰囲気出したかったんだろう。
 

「作物が育てられない厳しい土地に住み、家畜に頼って生きる民」というものを出したかったんだろうに、
現実でそのような生活をしている遊牧民に対しての解像度が極めて低く、
作物が自生する豊かな土地なのに農業をせず、農業をしていないにも関わらず移動生活をせず、
農業もしていなければ移動生活もしていないのに家畜を育てている、矛盾を抱えた意味不明な民族と化してしまった。
異文化、描けてないですよ。

関連項目

世界観
リアリティ
藤岡要
チーズナン
隔ての砂原
クナファ村
そういえば、藤岡はずっと「ナン」を作っていたよね。