小紫芳夫 のバックアップ(No.2)
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- 1 (2023-04-20 (木) 15:24:27)
- 2 (2023-09-09 (土) 11:48:20)
小紫芳夫は、日本の実業家、経営者。
歴任は、横浜倉庫株式会社旧社長、日本臓器移植ネットワーク会長、日本馬主協会連合会会長。
略歴 
- 横浜倉庫株式会社社長
- 日本臓器移植ネットワーク会長
- 日本馬主協会連合会会長
- 1986年 腎臓移植普及功労者として厚生大臣から感謝状授与
1928年、横浜港などを拠点として港湾業務や倉庫事業などを営む鈴江組の創業者、鈴江繁一の三男として、東京都に生まれる。鈴木繁一の妻である千代は一人娘だったため、小紫家を継ぐため、千代の実家である小紫家の養子となったと知られている。
1963年、横浜倉庫の社長に就任。2010年、肺血栓そく栓症で亡くなるまで、同社の経営に携わった。
また、2人の娘を腎不全で亡くしている経験から移植医療の普及に取り組み、1973年に腎臓移植普及会、1995年に日本腎臓移植ネットワークを発足させた。1997年の臓器移植法施行に伴って改組し、日本臓器移植ネットワークを設立した。
人物 
横浜倉庫株式会社の代表取締役社長を務めると同時に、日本臓器移植ネットワーク会長・日本馬主協会連合会会長としても活動。
特に日本馬主協会連合会会長として8年間務め、自身も馬主として競馬界に関与。賞金や出走手当の分野で選手の地位向上に努めた。
1986年(昭和61年)には、臓器移植の分野で活躍し、厚生労働省から感謝状を授与される。
馬主について 
競走馬の馬主としても知られる。勝負服の柄は海老、白玉霰、黄袖、冠名には「スズ」を用いた。1987年の宝塚記念など重賞8勝を挙げたスズパレードが代表的な所有馬。1983年から1993年までの10年間にわたり、東京馬主協会の会長、1993年から2001年の8年間にわたり、日本馬主協会連合会の会長を務めて功績を残している。
主な所有馬はスズパレード(1984年ラジオたんぱ賞、福島記念、1985年日刊スポーツ賞金杯、ダービー卿チャレンジトロフィー、1986年ダービー卿チャレンジトロフィー、1987年宝塚記念、中山記念、1988年オールカマー)であり、当時人気もある馬だった。
特にスズパレードに関してだが、同い年の従兄弟に、1985年のエプソムカップ(GIII)を制したスズマッハがいる。また父ソルティンゴは、牧場で放牧中の事故により生殖機能を失い、1世代しか子孫を残せなかったため、スズパレードはソルティンゴの数少ない産駒の一頭であった。引退後はイーストスタッドで種牡馬となった。北関東公営競馬で12勝をあげる活躍をしてのちに中央競馬に転厩したスズハグラーが代表産駒である。2000年に種牡馬を引退したが、その後はイーストスタッドで従兄弟のスズマッハと共に功労馬となり、隣同士の放牧地を与えられて余生を送っていた。2008年2月24日、老衰のため生涯を終えた。
日本臓器移植ネットワークについて 
臓器移植を受けようとする患者、すなわちレシピエントの登録を行う機関だ。臓器提供意思表示カードに臓器提供の意思を表示した患者、及び家族が提供の意思を示した患者が、脳死が推定される場合において、日本臓器移植ネットワーク所属または委託の移植コーディネーターが患者の家族に説明し、法的脳死判定と臓器提供の確認を行う。また、臓器移植の推進のため、臓器移植に関して啓発活動を展開したりもする。この日本臓器移植ネットワーク会長を当時務めていたのが小紫芳夫である。
横浜倉庫株式会社 
横浜倉庫株式会社は、東京都港区海岸に本社を置く倉庫事業者である。
企業概要 
- 社名 横浜倉庫株式会社
- 創立 明治39年(1906)9月18日
- 資本金 1億円
- 代表取締役社長 小紫 嘉之
- 営業種目 普通倉庫、保税倉庫、冷蔵倉庫、倉荷証券発券倉庫、通関業、貨物利用運送事業、不動産賃貸、前各号に付帯する業務
- 所在地 〒108-0022 東京都港区海岸3-20-20 ヨコソーレインボータワー13階TEL.03-3452-3411 FAX.03-3452-3465
企業沿革 
- 1906年9月(明治39) 横浜倉庫株式会社創立(資本金380万円)
- 1907年5月 横浜市神奈川区地先公有水面埋立の設計変更認可(明治38年免許取得、437,374㎡)
- 1908年12月 埋立地の一部に倉庫10棟が完成、営業開始
- 1912年7月 埋立工事完了(一部譲渡により埋立面積は371,213㎡)
- 1912年10月(大正元) 埋立地の大部分を当社初代社長・千坂高雅と専務取締役・若尾幾造の1字ずつを取り千若町と命名(一部は新浦島町に編入)
- 1934年2月(昭和9) 倉庫49棟を増設、京浜地区屈指の倉庫会社となり、全国8大倉庫の一つに数えられる
- 1945年5月 横浜大空襲により倉庫、建物及び専用鉄道全焼
- 1945年9月 進駐軍により社有地115,703㎡及び専用鉄道等施設の全てが占領され、休眠会社となる
- 1953年8月 営業再開を目指し、千若町地先公有水面の埋立に着手(大正12年取得の185,511㎡の埋立免許)
- 1958年4月 埋立事業を推進した取締役・鈴江繁一の功績を称え、竣工した埋立地を鈴繁町と命名
- 1959年1月 横浜市の強い要請を受け、埋立地・鈴繁町を米軍に再度提供、横浜での営業再開を断念
- 1961年11月 東京都墨田区所在の墨田川造船株式会社を傘下に収める
- 1963年7月 上記造船会社の敷地の一部に墨田営業所を開設、戦後18年ぶりに東京で倉庫営業を再開
- 1964年7月 芝浦営業所開設
- 1965年4月 品川埠頭営業所開設
- 1968年8月 辰巳出張所開設
- 1968年12月 元所有地・新浦島町が接収解除により返還となり、国から買戻しを受けて東神奈川営業所を開設。23年ぶりに横浜で営業再開
- 1972年12月 千若町の接収解除に伴い、跡地利用で横浜市と競合したため、鈴繁町地先公有水面の埋立免許取得(97,705㎡)
- 1973年3月 東神奈川営業所の敷地を関東郵便局に譲渡、東神奈川営業所を廃止
- 1975年3月 鈴繁町地先公有水面埋立竣工認可(埋立面積111,275㎡)
- 1975年10月 鈴繁埠頭営業所開設
- 1975年11月 厚木営業所開設
- 1993年6月(平成5) お台場営業所開設
- 1995年2月 芝浦営業所跡地に新本社ビル「ヨコソー レインボー タワー」竣工
- 2000年9月 品川埠頭営業所に7階建新館倉庫完成
- 2004年2月 横浜市神奈川区出田町に新たに東神奈川営業所開設
- 2005年9月 創立100年記念行事挙行
- 2011年4月 綾瀬出張所開設
- 2019年11月 AEO認定通関業者の認定取得