強引に飛べると思った。
周囲の反対を押し切って東京に出て来たものの、あの頃の俺に相応の覚悟はあったのだろうか?
売れない原稿、掲載ラインに届かない実力、どれだけもがこうと醜態としかとられないもどかしさ、焦慮の日々。どうだい、あれから10年さ。
数年ぶりに故郷の先輩に年賀状を出した。手紙の形で返事が来た。近況を伝える平凡な年賀状は、彼にはSOSに受け取れたらしい。
「僕の沼君のイメージは、誰もいない真夜中の校庭のトラックを独りで喘ぎ走り続けながら、まわっている姿です」だと。そんな俺を尊敬しつつ心配しています、と書かれていた。
大学の文芸部の、一回生上の彼とはよく文学と政治のことで論争したものだった。どちらも世間に合わせる器用さがなかったが、10年たち彼は妻帯し管理職に、俺は無職でいる。どう返事を書こうかと考えていたら、手に持っていた手紙が溢れる涙で滲みだした。