あらわれたものというのはやがてそのうちに消えてゆくことがおそらくは決まっています。生きているものも、死んでいるものも、ただそこにあるものも、わたしたちのようなひじょうにあいまいな存在も、たとえばいつか使おうとおもい財布にいれておいたなにがしかの無料券がある日をさかいにただの紙きれとなるように、なんの意味もないものになる、どころか、いた、あったことすらじきに忘れられてしまうのです。
わたしというのはそれ以上で、まったくもって誰にも知れずに消えてしまいました。ひとから生まれたものであっても、そこらへん、あやつりきれないところもあるようで、あなたがあのひとに、あのひとがあなたに、「 」と言うことがなくなったことに、あなたは気付いていないとおもいますが、それがわたしです。
もしかしたら、人類よりもわたしたちのほうが先に終わってしまうのかもしれません。
いつまでもある、いつでも話せる、いつも使えるとおもっていたら、そうでもないのかもしれません。
あなたたちがよく言う
「 」
とか、は、ああ、これももう手遅れのようです。