Symbolism

Last-modified: Thu, 28 Mar 2024 06:47:55 JST (51d)
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記号論研究

記号に関する用語は、シグナルとシンボルであり、前者は記号自体と記号対象からのみ成るいわゆる二項記号、後者はさらに解釈項を両者の間に挟むいわゆる三項記号、と解すれば間違いあるまい。ソシュールの一見的な二項記号は、しかし、言語における単語と意味との結合の恣意性を強調するためのものであり、単語と意味との一意性は「世間」へと「揚棄 (棚上げ)」されており、その「世間」が解釈項の体系 (グッドマンの「バージョン」) であることを明らかにしたのがカッシーラーの記号哲学なのだから、厳密にはソシュールの記号論もやはり三項記号の理論である。

 

生成文法は、三項記号論における、解釈項展開分析の好例である。枝がそのまま解釈項であり、項は等レベルにおいて一方が記号自体でありもう一方が記号対象だが、解釈項展開の常として、これらの記号自体と記号対象とは入れ替え可能である、すなわち、相互定義の相にある。批評において「生成批評」は草稿の研究を主とするテキストの生成過程に基づく批評であって、生成文法とは何の関係も無い。むしろ、脱構築批評の方がより生成文法的であろう。

 

二項対立が相互定義的であるなら、その中間に解釈項を挿入することができ、それによる分析展開はそのまま、フラクタル相似的に「部分解釈による全体解釈の代論」足り得る。フラクタル相似的反復は一種の歌唱的快楽であり、その快楽の追求が「表明する」ことの本質であり、またその快楽の追体験的享受が「拝聴する」ことの本質なのだから「部分による全体代論」はすべての「表明」に通用する批評理論なのだ。

 

意味とは、突き詰めれば、固有的周期性 (システムが自己継続するための、諸フィードバックの総合的「響き」) の発露である。一般的周期性のさなかに固有的周期性が見出されるや、それは解明されるべき「暗号」として意識に働きかける。フィードバックが共鳴するにせよ相殺するにせよ、それは自己継続への「不安的期待」を直ちにもたらすのだから、完全に無視することはできない。「暗号」の解明は、システムにおける機能性 (という内部システム=器官) との一致に拠る (機能意味論)。

 

記号のシステムにおいて、フィードバックの喪失は、他者とのエネルギーのやり取りができなくなったこと、すなわち「他者に対して透過状態になった」ことを意味する。これを「霊的様態」と見なし得よう。霊的様態のシステムが他胎に宿るならば、それはサナギのそれと同じく「自己の分解と再構成の過程」として、であらねばなるまい。システムに付随する「記憶」が、かくして新たに生成するシステムへの「守護霊」へと転じる。逆に、この過程を恐れ拒むシステム (に付随する記憶) が「悪霊」となるわけである。祖霊供養は、この「守護霊」に、より長い持続性と力とを与えるものであって、死者の魂 (システム) それ自体には関係しない。